Architecture
A-005    私がめざす建築は     s a / r a
simple architecture _ real architecture
プロローグとしての玄関

他人(ひと)の家を訪ねてまず目にするのは建物の外観や前栽・門などの外構、そしてそれら全体の佇まいである。 家を一冊の本に例えるなら、それらはさながら「表紙」に相当するだろう。 いや、装画はもちろんのこと、カバーや帯、それに紙の手触りまでも含むデザイン、いわゆる「装幀」と言った方が適当かもしれない。 「装幀」はその本の内容を体現し、本文に導くための装いや仕掛けである。 住宅建築における外観や外構、そして佇まいも同じくそこに住む主(あるじ)を体現しており、来訪者を心地よく家に導くための装いであり仕掛けであると言えるだろう。

さて、いよいよ家の中にお邪魔するわけだけれど、入るとまず「玄関」と呼ばれる空間があるのが一般的だ。 たとえ狭くても、あるいは壁や建具で区画されていなくても、住宅には靴を脱いだり来客の対応をするためのスペースが必要であり、そのスペースが「玄関」である。 本にたとえた先の例に倣えば、玄関はさながら文章や物語の導入部で、本題に入る前の前置き、すなわち「プロローグ (prologue)」といったところだろうか。 プロローグが本題の物語の雰囲気を醸し出したりすることで読者の期待感を高める効果が要求されるのと同様、玄関はその住宅の品性を漂わせながらも来訪者を暖かく迎い入れる空間でなければならないだろう。 玄関ドアを開けた瞬間、踵(きびす)を返したくなるようではダメなのだ。
玄関はまた「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」を切り替える特異な空間でもある。 玄関ドアを開ける前に身だしなみを整えたりして、来訪者にとって玄関は“ケ”の場から“ハレ”の場への入り口となり、一方、その家に住むひとにとっては外出する際、“ケ”の場から“ハレ”の場への出口となるのが玄関なのだ。 そしてそれは過度に緊張を強いるのではなく、さりげなく“ハレ”と“ケ”を切り替えることができる空間でありたい。

「玄関を大きくするな、門戸を張るな」
これは村野藤吾(建築家 1891~1984)が若い頃に大阪の富豪から教えられて心に刻んでいた言葉であるが、町人の町・大阪では昔から出入り口は格式張ったり見栄を張ったりせず、さりげなくつくることが良しとされてきたのだ。 武士に目を付けられないようにという実利的な面もあっただろうけれど、住宅のあり方はそこに住む人のあり方でもあり、さもありなん、とわたしは思うのである。