Architecture
A-010    私がめざす建築は     s a / r a
simple architecture _ real architecture
アルミの切妻屋根・セメント成型板の素地と黄色い階段

建築を設計する際、まず何か「手掛かり」が必要になる。 その「手掛かり」がどのようなもであるかは建築家によって違うだろうし、同じ建築家でも建築条件が異なれば変わったりする。 たとえば敷地やその周辺の状況や社会的・歴史的背景、あるいは施主のライフスタイルや人生観が「手掛かり」として設計のヒントを与えてくれたりする。 建築は部屋の配置(間取り)や建物の形状、構造、仕上げ材、設備等々、いろんな要素から成り立っているが、「手掛かり」さえつかめばこれらの要素は自ずと系統化されて収束する場合が多い。 一方、建築家の中には初めから構造や素材を決めてかかるひともいる。 そういうひとがつくる建物はどこにあってもどれもよく似た感じだ。 どんな依頼が来ようと、「コンクリート打ち放しの箱」しかつくらないひとなどはそれに該当する。 施主もそれがわかっていて依頼するのだから、余計なことを考えずに済むので楽だし、建物の出来上がりもだいたい予想がつくため、ある意味安心だ。 建築家は構造や仕上げを予め決めているのだから、設計の時間は別のこと、例えば空間の構成やその見せ方の検討に充分費やすことができるメリットがある。 限られた時間に何に重きを置いて設計するかは人それぞれ、ということだろう。 初めから決めてかかることが少ないわたしは、あまり構造や素材に強いこだわりがある方ではない。 だからといって、何でもいいというわけでもない。 ただ単に新建材を張っただけの、無造作に敷地いっぱいに建てられた建物を見ると無性に唾棄(だき)したくなるのも事実だ。 それは、建物の佇まいがよく考えられていたり、細部に工夫がみられたり、あるいは職人が持っている技術を存分に発揮して建てた建築とは明らかに異なる。 建てる費用が同じであっても、それらには材料と手間の費用バランスに違いがあるのだ。 もの作りにはそれなりに「手間ひまかける」必要がある、と思う。 高級な仕上材を用いるより、手間ひまかけてつくることにわたしはこだわりたい。 その「手間ひまかける」ことを、施主・建築家・施工者が共有して楽しむことが出来れば、必ずいい建築ができると信じている。