田舎の若者が成功を夢見て「都会」に出ることは、古今東西、よくあることだ。
学問であったり、仕事であったり、その多様な若者の夢を、決して保障はしないけれど、「都会」は黙って受け入れてきた。
日本でいえば、東京。
アメリカならニューヨーク、ということになる。
たとえば、Bob Dylan は北部の田舎からニューヨークにやって来た。
そして彼の成功を目の当たりにした若者が、また田舎から出て来るのである。
スティーブ・フォーバート(Steve Forbert 1,954~ 米)もそのひとりだ。
21歳のときミシシッピという南部の田舎から、ハーモニカとギター 1本を携え、汽車を乗り継いでやって来たという。
路上演奏しながら少しずつ活動の場を広げ、24歳のとき晴れてレコード・デビューを果たした。
社会性のある歌を自作自演するアーティストとして"Next Dylan"と期待されるが、デビュー・アルバムはそれを納得させるだけの作品であったように思う。
そのジャケットは、都会での成功を胸に秘めた田舎の青年が初々しく写し出だされており、好感が持てる。
しかし、まるでドラマのようなかれの成功物語も実はここまでだ。
そう上手く誰しも"Dylan"にはなれない。単なるポップスと化した 2枚目のアルバムは商業的成功をおさめたけれど、多くのファンを失望させ、以降アルバムは出すけれど売れず、所属するレコード会社もマイナーにかわり、一時は契約すらままならない状態であったようだ。
しかし、第一線から姿を消してかれこれ25年近くになる今でも、彼は地道に歌い続けている。
遠く海を隔てた日本からではあるけれど、ぼくはかれのそういう活動を心から応援している。
"Dylan"になりたくてなれなかった 2歳年上のかれが、ぼくの生き方に示唆をあたえてくれたことの意味は大きいし、かれの今後がぼくの今後に関わるような気さえしているのだ。
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