たまにではあるが、自分の生まれた星に帰りたくなるときがある。
しかし、シュワッチ!、とウルトラマンのように帰る星があればいいのだが、ぼくにはこの地球しかないのが現実だ。
日々の行動範囲がすこぶる小さいためか、子供の頃から宇宙への憧れは人一倍つよかった。
大阪・四ツ橋にあった電気科学館でみたプラネタリウムは、鉄腕アトムの御茶ノ水博士や鉄人28号の敷島博士と同じくらいぼくに科学者への夢を抱かせてくれた。
また高校生のとき、北アルプスの頂上からみた360度満天の星空は、宇宙空間にひとり投げ出されたような錯覚に陥り、心底怖かった思い出がある。
宇宙の中でぼくたちは生きている、という感覚はこのような特別な体験をしない限り、ふだん意識することはない。
夜空に浮かぶ月は地球の周りを回っており、その地球は自転しながら時速10万kmの速さ(なんと音速の100倍!)で太陽の周りを回っている。
子供でも知っているこのようなことも、実際に体感することはまずない。
まして、太陽系のようなものがいくつか集まって銀河系を構成し、その銀河系がいくつか集まったものが銀河系団である、などとは定義はできても想像すらできないのだ。
身近な人から民族・国家にいたるまで、争いごとが止まない地球上での日常を避けて生きることはできないけれど、できればいつも「宇宙の中の自分」というものを感じていたいと思う。生物(あるいは万物)がこの世に生を受け、そしてやがて死んでいくということも、宇宙の摂理としてとらえたい。
抗うことのできない大きな「何か」があってよいと思うのだ。
人知がつくり上げた神(宗教)という概念を、未知ではあるが実体としてある宇宙に忍ばせたくない。
ただ、宇宙の中の地球という星にいま自分がいる、という実感がほしいだけなのだ。
Limitless、undying love
which shines around me like a million suns.
It calls me on and on across the universe.
---John Lennon---