|
江戸時代の日本は鎖国していたこともあり、西洋とは異なる独自の文化・文明を形成していたであろうことは想像に難くない。 ペリーの黒船来航以来、西洋人が日本に訪れ滞在するようになると、彼らは未知の国での体験を日記などに克明に記録し、手記として残している。 日本近代史家である渡辺京二(1930~2022)が数多あるそれらの手記をつぶさに調べ、そこに記された対象を分類して一冊の本にまとめ上げたのが1998年に出版された「逝きし世の面影」だ。 本文のほとんどが手記の部分的引用から構成されているのだが、その書名が示すように全体を通して甘美な郷愁を感じさせ、あまりの賞賛や好意的印象の羅列にわたしなどは面映ゆさを通り越し、恣意的な引用ではと疑いたくもなる。(へそ曲がり!) しかし、渡辺による恣意的な引用があったとしても、誰にも(特に日本人に)おもねる必要のない個人的な日記に書かれている文言は、当時の西洋人が見て感じたことを素直に記したものであろうことは認めざるをえない。
* * *
さて、その「逝きし世の面影」には「風景とコスモス」という章があり、そこには日本の自然・風景に初めて接した西洋人の感嘆賛美が記されている。
長崎港
「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるものかと見とれてうっとりしたほどであった」
江戸近郊
「私の生涯中で此処ほど美しい木の葉の色や秋の景色を見たことはない。全く飽かぬ眺めであった。・・・この上何を望もうか。この土地にいて、このような好い人たちの間に、またこのような美しい自然の中に住めば、本当に幸福になれるだろう」
「風景はたえず変化し、しかもつねに美しい。丘や谷、広い道路や木陰道、家と花園、そこには勤勉で、労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる」
春
「世界中でこれ以上絢爛たる開花と、笑みこぼれるような、そして優雅に満ちた春の植物を求めることはできまい」
寺院の茅葺屋根
「私は世界中どんなところでも、こんなに美しい茅葺を見たことはない。まったくこれは、日本を訪れるあらゆる外国人の嘆賞の的となっている」
山々
「松の木に縁取られた日本の山々ほど、ひとつひとつがこの世ならぬ個性の美しさをたたえているものはない。曲線や突起のある、繊細でしかも大胆な表情。それらは西洋の山にはないものだ」
「午後のひととき、公館のまわりをぶらぶら歩いていると、不意に水平線から、なだらかに優美な曲線をえがき、白雪をいただく円錐形の山頂がくっきりと天空にそびえ立つ富士山の全容が、私の目に映った。私は名状しがたい強烈な興奮に駆られた。・・・その時の異常な興奮はいまなおその余韻がさめやらぬし、おそらく生涯の終わりまで消えることはないだろう」
自然との親しみ
「日本の市民の最大の楽しみは、天気のよい祭日に妻子や親友といっしょに自然の中でのびのびと過ごすことである。墓地や神社の境内や、美しい自然の中にある茶店にも行く。老人たちは愉快に談笑し、若い者は仲間同士で遊んだり、釣りをしたり、小さな弓で的を射たりする。釣りや弓は若い女性にも好まれている遊びである」
* * *
これらの江戸末期の自然や風景、そしてひとと自然との関係は残念ながら明治以降急速に消えていってしまったようだ。
いや、本当はまだどこかに残されているかもしれないが、それを感じ、それに親しみをおぼえ、それで満ち足りた気分になる感性を現代のわたしたちは失ってしまったのかもしれない。
いま建築を断熱や高気密といった性能でランク付けする風潮があり、政府もそれを推奨しているけれど、建築を通したひとの幸せとは、多分そんなところにはないような気がする。
最後にまた「逝きし世の面影」から、西洋人が見た当時の日本人の生活についての印象
「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」
「日本人は私がこれまで会ったなかで、最も好感のもてる国民で、貧しさに対する卑屈や物乞いのまったくない唯一の国である」
「どの台所用具にもそれぞれの美しさと使いやすさがあり、人々はその清潔さと年季の入った古さの両方に誇りを抱いている」
「日本のもっとも貧しい家庭でさえ、醜いものは皆無だ。お櫃(ひつ)からかんざしに至るまで、すべての家庭用品や個人用品は多かれ少なかれ美しいし、うつりがよい」