Architecture
A-041    私がめざす建築は     s a / r a
simple architecture _ real architecture
大阪の下町で 「建築する」

昔、大阪は「長屋」の街だった。
大阪市が1941年(昭和16年)に行った住宅調査によると、専用住宅の約80%は借家であり、その1年前の借家調査では借家の約95%が「長屋」だったという。 すなわち、専用住宅4軒のうち3軒は賃貸「長屋」だったのだ。
店子がいれば当然大家もいるわけで、小作人と地主の関係じゃないけれど、戦前の大阪の住宅事情も格差社会でなかなか厳しいものがあったことが窺える。 いや、もしかすると、ままならぬ浮世で店子という身分に甘んじながらも、守るべき不動産を持たなない気楽な「長屋」暮らしが当時のシティ・ライフに合っていたのかもしれない。 そういう意味でも「長屋」は都市型住居であったのだ。

さて、「長屋」は落語のシチュエーションとしてよく出てくるけれど、平成生まれのひとだと実物を見たことがなかったり、想像すらできなかったりするかもしれない。 そもそも建築基準法に「長屋」の定義はなく、一般的には「2つ以上の住戸が壁一枚を介して横に連なり、共用の廊下や階段はなく、それぞれの住戸が直接道路への出入口を持つ建物」が「長屋」とされている。 今はテラスハウスやタウンハウスと呼ばれる鉄筋コンクリート造や鉄骨造の「長屋」もあるけれど、昔はすべて木造だった。

その「長屋」が密集していた大阪市は、第二次世界大戦で大規模な空襲にあっている。 空襲は1944年12月から終戦の前日まで計8回あったとされ、大阪の中心部、今のJR大阪環状線(大阪市内中心部を円で囲むように走る路線)の内側はほぼ全域が被災し、「長屋」も一部地域(天神、中之島、船場、谷町、北山、勝山)を除いてほとんど焼失してしまった。 一方、環状線の外側にあたる地域(特に東側と南側)では空襲を免れたところもあり、比較的多く「長屋」が現存している。 ただ、現存していても老朽化は否めず、その上今の耐震構造基準に適合していないことや間取りがライフスタイルに合わないこともあり、居住者の高齢化も相まって空き家になったり取り壊されたりするケースが増えている。 また、防災面から木造住宅密集地域(木密地域)解消政策のやり玉に挙げられているのが実情だ。 少し古いデータだが、2013年時点で戦前に建てられた「長屋」は約9,600戸しか残っていなかったという。

そのような状況下で、古民家のリノベーション(renovation)ブームやリサイクル(recycle)、あるいは持続可能性(sustainability)という考え方が2000年頃から少しずつ一般化してきたこともあり、「長屋」を保全活用しようという機運が高まっている。
「身近な住居であるからこそ大阪の住文化を受け継ぐ器としての役割を果たしてきた」と「長屋」の意義を謳った「 オープンナガヤ大阪 」 は、「長屋を活用した暮らしぶりや改修のノウハウを公開し、入居希望者や空き長屋所有者等に長屋暮らしの魅力を知っていただくことによって、大阪長屋の保全活用を加速させることを目指す」などと、なかなか頼もしい存在だ。
また都心部で幸い被災を免れた谷町の空堀地区では「 からほり倶楽部 」 など、いくつかのグループが「長屋」を含む街並みの保全・再生を目的に積極的な活動をしている。

彼らの活動を見ていると、「都会に住む」ことの意味を考えさせられる。

今やセレブの代名詞となっている「タワマン」(タワー・マンション、20階以上の超高層マンション)は大阪でも活況だけれど、東京はさすがに別格だ。 2023年秋に完成する麻布台ヒルズのコンセプトは「緑に包まれ、人と人をつなぐ広場のような街-Modern Urban Village-」であり、「圧倒的な緑に囲まれ、自然と調和した環境の中で、多様な人々が集い、人間らしく生きられる新たなコミュニティの形成」を目指しているそうで、住戸の分譲価格最高値は100億円を超える(2023年8月23日付 読売新聞)といわれている。

一方、同じ都会でありながら「長屋」にはうらぶれた家屋で肩を寄せ合って暮らすイメージが付きまとい、「タワマン」とは対照的だ。 隣家とは薄い木造の壁一枚で接する、ある意味運命共同体であるため、そこでの日常生活はプライバシーよりコミュニティが優先されることになるだろう。 それゆえ、コミュニケーションが苦手でプライバシーを重んじる内向きの現代人には向いていないと考えられてきたのだが、近年ルームシェアやシェアーハウスが家賃等の経済性だけでなく、入居者同士のコミュニケーションを求める若者を中心に広まっていることから、「長屋」もレトロ好みの若者の心をつかみ、店舗やギャラリーに改装してイベントを催すなどして、建物単体ではなく街全体のコミュニティを活性化させるのに一役買っているようだ。

今が昭和なら、「タワマン」が勝ち組で「長屋」は負け組と世間は決めつけるだろう。 しかし、時代は移り、ひとの価値観も多様になった。 わたしも今は、金に飽かした100億円の「タワマン」を批判しようとは思わない。 それより、わたしが面白いと思ったことは「タワマン」も「長屋」も共に「コミュニティ」を謳っていることだ。 居を構え、そこで食べて憩い団欒し、そして風呂に入って寝ることが「住む」という意味ではないはずだ。 向かい3軒両隣、あるいは町会や自治会、もう少し範囲を広げて地区や街。 それらの人たちとの関り(コミュニティ)があってこそ「住む」ことの意味が充足されるのだろう。