私の好きな音楽の話 |
John Coltrane(ジョン・コルトレーン 1,926年~1,967年 米)はジャズのサックス奏者である。
彼に一言を持つジャズ・ファンは多い。
特にジャズというものが、雑居ビルの地下にある真っ暗なジャズ喫茶で、煙草をくゆらせながら一杯のコーヒーで何時間もひとり腕を組んで聴き入る音楽であった時代を知る人にとって、コルトレーンは「神様」以外の何者でもない。
しかし、ジャズ喫茶が地上に姿を現し、陽光差し込む洒落たお店になっていた頃にジャズを聴き始めたぼくにとって、コルトレーンといえどもジャズ・ミュージシャンのひとりに過ぎない。
そのような聴き方ができるのは幸せでもあるが、なんとなく寂しい気もする。
コルトレーンは名声を得てからも暇さえあればサックスの練習をし、他人から謙虚に学ぶ姿勢を持ち続け、音楽で未知なる世界を切り開こうと、ひとり一生懸命悩み苦しんで生き抜いたひとである。
だから、そのようなひとの音楽を単に「聴く」のではなく、その時代の空気を吸って「体験」してみたかったのだ。
画家のゴッホと同じで、コルトレーンは生きることに関して非常に「愚直」であったように思えてならない。
楽に生きる、ということができないのだ。
「そつ」のないことが、あたかも良いことであるかのように思われている今の日本社会だけれど、「本物」というのは、きっと彼らのような「愚直」なひとからしか生まれないのではないだろうか。
肝臓がんに侵されながらも入院療養を拒否し、渾身の力を振り絞ってサックスを吹き続けたコルトレーンが、命と引き換えに掴まえたかったものは、いったい何だったのだろうか。
彼にとって41歳の死は、決して早くはないような気がする。