Music

音楽    M_006
私の好きな音楽の話
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大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次のコラボレーション
Niagara TRIANGLE VOL.1 のアルバムジャケット
彼らにとっては、サウンドがすべて


ポピュラー・ミュージック(ポップス)が文字どおり「大衆の音楽」として最も輝いていた時代は60年代だったのかもしれない。 ぼくが欧米のポップスに興味を持ち始めたのはそれ以後の70年代に入ってからだけれど、それまでにも「ザ・ヒットパレード」というTV番組やグループサウンズ、それにカレッジ・フォークなど日本流にアレンジされてはいたが、欧米のポップスをリアルタイムに体験できたのは、今思えば幸運な少年時代だった。 みんなが簡単に口ずさめたポップス。「悲しき~」とか、「恋の~」というタイトルで、「イェ~ッ、イェ~ッ」とか「シャラッ、ララ~」などというコーラスが甘ったるい歌声で単純な歌詞と切ないメロディーにのって歌われていたポップス。 「初恋」とか「青春」とか「夢」という甘酸っぱい言葉が、恥ずかしげもなく歌詞に登場し、それをまた恥ずかしげもなくみんなで歌っていたポップス。 あの頃の世界は戦争・公害・差別・貧富の差と多くの問題を抱えていたにもかかわらず、それでもバラ色の夢を持つことができた時代でもあったのだろうか。 技術はもちろん、社会のシステムや人の心も純粋でシンプルであったような気がする。 「歌は世につれ、世は歌につれ」とよく言われるけれど、あの時代が生んだポップスはまさにその時代を反映していたのだろう。 今あの頃のポップスを聴くと、歌や歌詞、メロディーや演奏といった各要素ではなく、それらが渾然一体となって醸成される「サウンド」というものに懐かしさを覚える。 ともすれば専門的な各要素を競い合う現代のおいて、音楽の持つ「サウンド」のような、あいまいだけれど全てをつなぎ、そして包み込むようなものがもっと評価されてもよいはずだ。 各要素にばかり気をとられていると、肝心の「サウンド」を聴き逃してしまう。


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