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そ の 他    O_006
興味をもったことなど・・・
映画「タクシードライバー」

あまり人と群れることを好まないぼくは、独りでいることが多い。
18才のとき大阪をはなれ、名古屋で初めてひとり暮らしをすることになったのだけれど、ホームシックになるよりも開放感のほうが勝っていたように思う。 学生の身分であったことで、世間からは十二分に甘やかされていたし、親からの仕送りも当然のごとく受け取っていた。 いくら独りであっても、こういうのは「孤独」とはいわない。せいぜい「プチ孤独」。 しかしそういうぼくでも、どうもがいても「かごの鳥」であることの悲しみはあった。 「孤独」ではあっても、何者にも束縛されずに大空を「自由」に飛び廻ることへの憧れがあったのだろう。 だが、憧れで「自由」など得られるはずはない。 誰も自分をかまってくれなくなった時、初めて「自由」というものを得たことになるのかもしれない。 何も失うものはない、という言葉を時々耳にするけれど、それも「自由」であるから言えるのであり、どこか寂しい響きを持つ。 ある意味、「孤独」と「自由」は同じ状態なんだ。 さて、その名古屋での2年目の秋、友人と見た「タクシー・ドライバーTaxi Driver」という映画は、ベトナム帰還兵であるタクシー運転手の「孤独」と、それが「狂気」に変貌していくさまをロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)が凄絶に演じていた。 そしてそれは「プチ孤独」をエンジョイするふ抜けた十代のぼくに強烈なパンチを浴びせた。 「孤独」とは人間や社会から疎外された状態であり、それは常に「狂気」を孕(はら)むものである、ということを教えてくれたのである。 そして、「孤独」とは「死」とも隣り合せであることも。
映画を見終わって寡黙になってしまったぼくたちは、ニューヨークならぬ名古屋の地下街の食堂で、いつものように中華丼をかき込み、そして別れた。