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シェーカー教徒の生活は”清貧”がゆえに美しい


その昔バブル経済がはじけたとき、射幸心旺盛なひとほど大きな痛手をこうむったのは当たり前だけれど、バブルの恩恵を受けなかったひとにまで就労や生活の不安を与え、今なおそのひとたちがそこから抜け出せないという社会構造をつくってしまったようだ。 「勝ち組・負け組」という言葉が示す勝ち負けとは、単に金持ちか貧乏かということであり、そこには精神性のかけらも見出すことはできない。 逆に、少し前に流行った「清貧」という言葉には、どこか矜持をもつ精神性を感じたりする。 言い方を変えれば、金持ちになるのに精神性は問われないけれど、貧乏になるとそれにすがるしかないということでもある。 さて、神からの啓示を受けたという英国人女性アン・リー(Ann Lee 1,736~1,783)が宗教的迫害を逃れ、信者8人を伴ってアメリカに渡ったのは38才のときである。 彼女は9年後に亡くなるが、シェーカー教団は宗教復興運動のブームと相まって1840年代にはアメリカ北東部の農場で19の共同体に約5,000人の教徒を有するまでに成長した。 かれらは一般社会と隔離した、物質的に、また精神的に簡素であることを重んじた禁欲的な生活を送っていたという。 しかし独身主義であったこともあり、以後次第に教徒は減っていき、今では 2つの共同体 に十数人の年老いた教徒が生き残っているだけである。 このような小さな集団が今なお多くの人々から注目されているのは、ひとえに家具や調度品を含めたかれらの生活スタイルにある。 それはあまりにも規律正しく、そして慎ましく、余分なものを一切排した合理的で機能的なスタイルなのだ。 ひとは何故かそのようなスタイルに崇高な「精神性」や普遍的な「美」を感じるのだけれど、 "バブル"や勝ち組がそれを得ようとして金を積めば積むほど、それは遠くにかすんでしまうひとつの聖域でもあるのだ。 そういう意味で、「清貧」とは置かれた境遇をいうのではなく、目指すべき境地なのかもしれない。