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家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比(ころ)わろき住居(すまい)は、堪へ難き事なり。
吉田兼好の「徒然草」、第五十五段の冒頭だ。 今から約700年前、鎌倉時代末期から室町時代にかけて主に京都で暮らしていた兼好だけれど、その指摘は現代の家づくりにも通じるところがあり大変興味深い。
とはいうものの時は移り、地球温暖化による昨今の夏の暑さは尋常ではない。
今では「夏をむね」とした「家の作りよう」だけでは如何ともし難く、エアコンを我慢して熱中症で死亡というニュースが巷にあふれ、この暑さを「命に関わる危険な暑さ」と形容して気象庁がエアコンの使用を勧める有様だ。
まさに「暑き比(ころ)エアコンなき住居(すまい)は、堪へ難き事なり」である。
今から50年ほど前の1970年代、昭和の時代、大阪の夏は暑くても気温は32度か33度、日が暮れると暑さが和らぎ、早朝などは涼しくて気持ちよかったものだ。
それに比べ今は日中35度が当たり前、その上夜は熱帯夜。
最低気温が28度を超える日もざらにある。
今や夏にエアコンがない生活なんて考えられなくなってしまったのだ。
かつて人類にとって生命を脅かすのは体温を低下させる寒さであったけれど、電気やガスが普及するずっと前から暖房の手段は囲炉裏や暖炉、そしてストーブがあり、地域によってはその廃熱を利用して壁や床下空間を温める工夫(ペチカやオンドルなど)をして寒さをしのいでいた。
またそれらの熱源は薪や石炭・石油などの天然資源であり、誰もが比較的手に入れやすくて加工に高度な技術が必要でないため、暖房は大昔からごく一般的に普及していた。
一方、空気を冷やす技術は難しく、一般家庭に冷房が普及し始めたのは1970年代に入ってからのこと。
まず冷房機能だけのルームクーラー(room cooler)が出回り、1980年代半ばぐらいから暖房や除湿機能を加えたエアコン(air conditioner)が急速に普及し、今や都市部(二人以上の世帯、2023年)での普及率は100%に近いという。
もし、エアコン普及前の1960年代が今のような暑さだったら、などと想像するだけで恐ろしいが、それまで人々は生活や家屋を工夫することでなんとか暑い夏をやり過ごしてきたのも事実である。
例えば、生活面では、
日中の屋外での活動は極力控え、涼しい朝や夕方の時間を有効に使う。
帽子や日傘で陽射しを遮り、薄着で風通しの良い服を着て「うちわ」や扇子で扇(あお)ぎ、シャワーや行水(水風呂)・プール、時には海や川に出かけて水浴するなどして身体を水で冷やす。
家の周りに「打ち水」をするのも涼を呼ぶのに効果的である。
また、五感で涼しさを感じることも侮れない。
座布団を「い草」に替え、床に「ござ」を敷き、清涼感のあるハッカ(ミント)油を部屋や肌にスプレーし、カーテンやブラインドを寒色系か淡い色に取り替え、ガラスの花瓶や金魚鉢を置き、軒下に風鈴を吊るし、サラサラと浅瀬に水が流れる音を演出し、よく冷えた麦茶やスイカ・かき氷・そうめんなど、冷たくて喉ごしのよいものを食べる。
もし時間とお金に余裕があるなら、長期休暇をとって避暑地に滞在、という手もある。
(えっ?、丑三つ時に怪談話で背筋がゾ~~、ってか。。。違うやろ)
では、「家の作りやう」はどうだろうか
陽差しによる輻射熱や暑い外気の影響を抑えるため、屋根や外壁は断熱性のある構造にし、軒の出や庇、庭の植栽、カーテンやブラインド、あるいは「すだれ」や「よしず」で夏の強い陽差しを遮り、窓の向きや配置・大きさを工夫して風を取り込み、建具は取り外したり格子など通気性のあるものに替えて家全体に風がいきわたるようにする。
夏にエアコンがない生活なんて考えられなくなってしまった今の日本の気候ではあるけれど、エアコンさえあればOKではなく、夏の暑さに対して昔から人々が工夫してきた生活や家の作りようを改めて見直すことも必要ではないだろうか。
国や住宅会社が中心になって声高に喧伝している高気密・高断熱住宅の究極は屋外の自然を遮断した魔法瓶のような空間でエアコンと換気扇をつけっぱなしにする住宅であり、本来自然の一部である人間が暮らすのにそれで本当に快適なのか、それで心や身体が健全に保てるのか、今一度わたしたちは問いなおす必要があるように思う。
住宅の快適さをUA値(外皮平均熱貫流率)やC値 (隙間相当面積)でランク付けするような性能本位の住宅ではなく、無理をせずエアコンを適宜使いながらも、ひとが自然を感じる暮らしができる住宅を目指すべきではないかとわたしは思うのだ。