Architecture
A-046    私がめざす建築は     s a / r a
simple architecture _ real architecture
時の経過 / 外壁の羽目板の変化を楽しむ

時というものはいやおう無しに過ぎていく。 これはいくらお金や権力を持っていても、どうしようもない。 逆にいえば、万物にこれほど普遍的で平等に与えられたものはないといえる。 あとはこの時間とどうつき合うかが問題だ。 たとえば新らしい建物が完成したとする。 外壁も汚れていないし、内装もピカピカだ。 この状態が一番よくて、あとは時の経過と共に汚れて悪くなっていく、あるいは価値が無くなっていく、という考え方をする人がいる。 人間の容姿で言えば、青春時代が美しく、その後は歳をとるにつれて醜くなっていく、という考え方と同じだ。 これは時の経過というものをマイナス・イメージでとらえているので、未来は暗たんたるものになる。 なんか、憂鬱。 それよりも、汚れていない新築時のよさもあるけれど、20年、30年と時が経つほどその材料の味わいが出てくる、 と思ったらどうだろうか。 実際、お寺や神社は古い方がなぜか風格や「ありがたみ」があったりするものだ。 いくらお金をかけたって、こればかりは時を経ずして手に入れることは出来ないのだ。 完成した時がスタートで、時が経てば経つほどどんどん良くなっていく建築。 少しだけれど、昨日よりもいい感じになってきているなぁ、この分だと明日はもっと、、、と思える建築。 想像しただけでワクワクしますね~。 しかし街を歩いていても、なかなかそういう建物にお目にかかれないのはどうしてだろうか。 いい味を出している建築が少なすぎる。 築10年以上たつのに新建材が妙にテカテカしていたり、これ見よがしに見栄を張って成金バカをさらしていたり。 こんな建築が世にあふれているものだから、ワクワクじゃなく、いつもプリプリしていなきゃならないんだ。