Architecture

提言_02
私がめざす建築は
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● 光 と 風

日本の住宅を考える場合、よく引き合いに出されるのが鎌倉時代末期に書かれた吉田兼好の「徒然草」第五十五段です。 今からざっと700年ほど前の随筆で、書き出しの「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて」はつとに有名です。

家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
深き水は、涼しげなし。
浅くて流れたる、遥かに涼し。
細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。
天井の高きは、冬寒く、燈暗し。
造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

今でも自然と向き合う生活を志すなら、この「徒然草」から多くを学ぶことができます。
高気密高断熱住宅を良しとする昨今でも、年中エアコンのお世話になっているわけではなく、春や秋の気候のよい時期には「徒然草」の家の造りは大いに参考になるのではないでしょうか。 深い池の水よりも浅瀬にサラサラと流れる水のほうが涼しく感じるなどと、言われてみれば確かにそう感じる暮らしの中での演出の大切さも教えてくれます。
科学の力で自然をねじ伏せるやり方より知恵を働かせて自然と向き合い、それを享受するほうが人間として本来の快適な生活が送れるのかもしれません。

その「徒然草」にある「夏をむねとすべし」の具体例として、家の風通しが挙げられると思います。 そもそも風とは単なる空気の物理的な移動であるわけですが、生活とのかかわりが深いためか、ひとは昔からその自然現象を強く意識してきたように思います。
それは風をあらわす言葉がたくさんあることからも窺えます。 たとえば、そよ風、すきま風、潮風、木枯らし、からっ風、追い風、向かい風、つむじ風など。 風の強弱だけでなく、同じ風でも季節や場所によって呼び方を変えるなど、その自然現象にひとの生活や思いを重ねた表現になっています。 また自然現象とは直接関係のない、風流、風景、風情などといったひとの心のあり様を反映した趣を表す言葉にも風という字が用いられており、ひとと風の深い関係性がわかります。

さて、住宅において「風通し」、言い換えれば「換気」の効果とは一体何でしょうか。
先ず、紫外線で殺菌された外気は樹木が出す酸素も豊富に含んでいるため、その空気を部屋に入れて汚れた空気を外に出すことは衛生上よく、その上ひとは新鮮な空気を胸一杯吸うことで気分がリフレッシュします。 また、風が通る時の気流がひとの身体からの熱の放散を促進させるため、涼しさや爽やかさを体感します。
風は扇風機やエアコンで人工的につくれますが、その空気は新鮮なものではなく、やはり窓から入る自然の風のほうが爽やかな気分にさせてくれるのも事実です。 同じ風でも、前者はcurrent、後者はbreezeと英語では呼び名を区別していますが、自然の風に特別な思いを持つのはなにも日本人だけではないのです。
建築での「換気」の効用は湿気の除去です。 湿気の多い日本は構造や仕上げで用いる木などの建築材が腐りやすいため、常に風通しをよくして換気することが大切になります。

そのような風をうまく住宅に取り込むにはどうしたらいいのでしょうか。
当たり前のことですが、風の入り口となる開口(窓や隙間)と、それとは別に出口となる開口が必要です。 また、風をよく通すには開口の大きさより、風の流れる速さ(流速)と流路が大切で、その流路は風の入り口よりも出口の位置に大きく支配されます。 壁の下の方に床に接して設けた地窓が、小さくても思いのほか通風に効果があるのはこのためです。

自然の風や光を家の中に取り込むには、家の周囲にそれらを遮るものがあってはいけません。 しかし、隣の家と適度に離れていたり空地があったりする立地は、都会でなくてもなかなか望めるものではありません。 一般的には、住宅の敷地は3方が家に囲まれ、開放されているのは前面の道路側だけという状況ではないでしょうか。 この場合、隣家と向き合って大きな窓をとる訳にもいかず、奥の部屋に風や光をどのように導くかが大きな課題となります。
昔の都市住宅、すなわち町屋はこの問題をうまく解決しています。 例えば「うなぎの寝床」といわれる、間口が狭く奥行きのある敷地いっぱいに建てられた京都の町屋が良い例で、両隣や裏の家も同じようにして建てられているため、決して良い住環境とはいえませんが、知恵を働かせて快適に暮らすための工夫をしています。

その代表的なものは、中庭です。 家の中央に大きな穴を穿ち、そこに自然を投げ入れるという大胆な発想が中庭なのですが、どの部屋も庭に向かって開放しているため、自然の風や光を導くのに効果があります。
庭に落葉樹を植えれば、夏は木陰で涼しく、落葉する冬は日が射し込みます。 その上庭の周囲が囲われているので北風が吹き込まず、暖かい陽だまりとして居心地のいい空間になるのです。
四季折々の庭木や花を眺めながら小鳥のさえずりや鈴虫の音色を聞いていると、都会であるにもかかわらず身近に自然を感じて心が癒されることでしょう。 「うなぎの寝床」にとって中庭の効用は計り知れません。

いま国が省エネルギーの旗の下、住宅の高気密高断熱化を推し進めており、窓を閉め切ったエアコンなどの冷暖房設備の使用を前提とした生活におけるエネルギー消費量の多寡で住宅をランク分けしています。
わたしは省エネルギーには大賛成ですが、ひとが日々生活を営む住宅はできるだけ設備に頼らず、自然を享受することが何より大切ではないかと考えています。 なにも水辺や森の中で暮らすことだけが自然ではありません。 風や光といった、どこにでもある、またちょっと工夫すれば誰にでも手に入る自然が、ひとが生きていく上でかけがえのないものだと信じています。
以前、寝室の窓を朝日が入る東側に設けることにこだわる施主がいました。 また、寝たきりの病人が小さな庭の片隅に生えた雑草をつつく雀をじっと見ていたこともあります。 このほんのちょっとした自然を感じることで、ひとは元気になり、また癒されるのです。 住宅はそれを演出するための箱でいい、とわたしは思っています。