私の好きな音楽の話 |
風が草木を靡(なび)かせるように、多くのひとを靡き従わせることを「風靡(ふうび)」と言うけれど、吉田拓郎が、まさしく一世を風靡した時期があった。
'60年代後半、それまでの優しいカレッジ・フォークが影をひそめ、代わりに、学生運動と共に激しく社会や人生と向き合うフォークが若者の支持を得るようになった。
その社会性が少し薄れかけた頃、人気のあった拓郎がこれまで所属していた小さなレコード会社エレックから、大手資本のレコード会社ソニーに突然移籍してしまったのである。
それはある意味、フォークの終焉を象徴する出来事であった。以後、拓郎や井上陽水、あるいはユーミンがつくる音楽は、ニューミュージックと呼ばれ、大衆化した。
拓郎が移籍した時、それまでのファンからは批判されたけれど、彼の名前が社会に認知されて「一般化」し、絶大な影響力を持てたのは、やはりこのときの移籍が功を奏したといえる。
ひとりのアーティストとして、大きな、そして難しい決断であったことだろう。
移籍後初めてのアルバムに、彼は直筆で下記の文章を寄せている。
気が付いてみると、フォークほど「こうでなければ」とか「こんな事はしちゃいけない」とか云う規制が多いものはないのです。
より自由であった筈なのに。(中略)
だからもう、うんざりなのです。
フォーク・シンガーになんかなりたくないのです。
だって僕はもっと自由でいたいし、人前だけで器用に自由を売り物になんかしたくないから。
僕はやっぱり元気なのです。