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そ の 他    O_002
興味をもったことなど・・・
新世界から通天閣を見る

大阪の街の構造を簡単に説明すれば、梅田を中心とする「キタ」と難波・心斎橋を中心とする「ミナミ」のふたつの繁華街があり、それらの繁華街を結ぶ御堂筋に沿ってビジネス街が発達している、ということになる。 大阪城はその東方、通天閣は「ミナミ」よりさらに南方に位置する。 通天閣といえば、年配の方なら王将・坂田三吉、若いひとなら「ビリケン」や「じゃりんこチエ」(古いか?)、あるいはテレビのドラマ等で知るひとは多い。 通天閣の周辺を「新世界」というのだけれど、それは明治時代の末につくられた歓楽街であったそうだ。 当時、ニューヨークのコニーアイランドにあった遊園地「ルナパーク」の名前をそのまま頂いた遊園地があり、パリの放射状街区にならい、その中央にエッフェル塔を模した高さ75mの通天閣がそびえていた。 (その通天閣は戦争で焼失し、1956年(昭和31年)に現在の2代目通天閣が再建されている) 今の「新世界」は、「あいりん地区」と呼ばれるホームレスや日雇労働者の街が近くにあるためか、若者が敬遠する貧しくて汚い街に成り下がってしまった。 通天閣の北側に残る洒落た放射状街区だけが昔を偲ばせている。 しかしぼくは、「ハイシライス」をかき込み、「たきみうどん」をすすり、「串かつ」をほお張りながらほろ酔い気分でこの街を徘徊するのが好きだ。 擬似的ではあるけれど、社会の底辺をさまよう感じがして、心地よい。 また黄昏(たそがれ)時、街の東側にある美術館へ至る大階段にひとり座り、「新世界」に沈み行く夕日を眺めながらもの思う時間もぼくに至福をもたらしてくれる。(昔からこのあたりは夕日の名所であり、「夕陽丘」という地名が今も残る) 街を人生にたとえれば、「新世界」はすでに老年期に入っているのかもしれない。 だからこそ街が持つ記憶を、街に代わってぼくたちが愛おしみ、大切にしなければ成らないような気がするのだ。