Essay 徒然


見知らぬひとにお金をあげますか?

ひと月ほど前のことだけれど、JR天王寺駅のホームで電車を待っていると、薄汚れたジャンパーを着た男がぼくに近づいてきた。 ズボンもよれよれで、おまけに破れたズックを履いている。 年の頃は30代前半か。ぼくの顔を一途に見るその目はすこぶる真剣だ。 はじめは知り合いかなと思い記憶をたどったが、どうも見覚えがない。 凶器を用いた物騒な事件が最近多いので、ぼくは少し身構えた。 しかし、ぼくより小柄のようだし、近づいて来るひとにいちいち身構えるようでは都会では生きていけない。 彼の方を見ながら立っていると、案の定、男はぼくに話しかけてきた。

「決して怪しいものではありません、本当です」

めずらしい話の切り出し方に、ぼくは少し戸惑った。 一般的に、見知らぬ他人に声をかける時はまず「すみません」などと言う。 英語なら「Excuse me」だ。 相手に余計な時間を取らせて申し訳ない、ということなのだろうか。 しかし、ぼくの目の前にいるこの男は、まず相手の警戒心を解こうとしている。 汚れた身なりは怪しく見えるけれど、実は真っ当な人間なんだ、と彼は言いたいのだろう。 ボロは~着てても♪ 心は~錦♪、ぼくの好きなフレーズだ。 「なにか・・・御用ですか?」と尋ねると、彼は次のように言った。

「実は・・刑務所から出てきたばかりなんです。 いやっ、決して怪しいものではありません。本当です」

ギャーッ!   なにーっ、怪しすぎる!
心の中でぼくは叫んだ。
更なる意外な展開に、頭の中は混乱した。 しかし、過去の経歴で人を判断してはいけない、と常日頃からぼくは自戒していることを思い出し、なんとか冷静さを取り戻した。 今ぼくの目の前にいる男は、昔なにか悪いことをしたけれどすでに刑に服し、その罪を償ったひとなんだ。(ホントか?)    そこで彼に用件を尋ねると、名古屋に知り合いがおり、今からそのひとの所へ行きたいので交通費 3,500円ほど貸してもらえないか、ということである。
なぁ~んだ、そんなことか。
しかし 3,500円とは。。。高いなぁ。 近鉄特急アーバンライナーで行く気だな。 他人にお金を無心しておいて、おしぼりサービス付のリクライニング・シートか。。。ちょっと贅沢ちがうか? それに刑務所を出るとき、当面の生活費として「お小遣い」を貰わないのかなぁ。。。
まぁ、いずれにせよ、今のぼくには「はい、3,500円」と他人にお金をあげる余裕はない。 そこでぼくは、自分が属している土建業界がいま不況であること、そしてそれによる倒産やリストラでみんな苦しんでいることを彼に説明した。 すると

「いや、それならいいです。 わたしと年齢が近いひとのほうが声をかけやすかったので。。 わかりました、頑張ってください」

彼は逆にぼくを励まして去っていった。 どう見てもぼくより 15歳は下のようにみえるけどなぁ。。。ほどなく電車が来た。 あの男がぼくのひとつ前の車両に乗るのが見えた。 彼は乗るなり、また誰かに話しかけている。 多分先程と同じことを訴えているのだろう。
しかしダメだったらしく、肩を落とし空ろな顔で座席にすわった。 思い詰めた表情は暗く、実に悲しそうである。もし彼の話が本当なら、、、いや、あの落胆ぶりは本当に違いない。 哀れなひとなんだ。 ちっぽけではあっても、良心はぼくを呵責(かしゃく)した。 そして、ついにぼくは意を決して彼のもとに行き、500円硬貨を差し出した。

「3,500円は今のぼくには無理やけど、この 500円を交通費の足しにして下さい」

意外にも、彼は拒否した。 「土建業界、倒産・リストラ」の話が脳裏をかすめたのだろうか、それとも自分が励ました相手からお金を受けとるわけにはいかない、と思ったのかもしれない。 しかし再度受取るように促すと、彼は礼を言って硬貨を手にした。その後、ぼくは言わなくてもよい事を言ってしまった。

「他人(ひと)から 3,500円を一度に貰うのは、多分無理じゃないかなぁ~。 500円ぐらいを 7~8人から貰うようにした方がいいと思うよ」

バカなことを言ったものだ。 お金の無心の仕方を指南してなんになる。 500円を渡したことで良心の呵責から解き放たれ、少し調子に乗ってしまった。
まもなく鶴橋駅に着くと、彼が電車から降りるのが見えた。 ホームで彼はまた、誰かに話しかけている。

過ぎ去ったことだけれど、あの「500円」を時々思い出す。 困っているひとに心を寄せた、他人(ひと)のためのお金だったのか、それとも単に良心の呵責から逃れたいという自分のためのお金だったのか。
ぼくは、失礼なことをしたのかもしれない。
あの男は今どうしているのだろうか。
それにしても、天王寺らしい出来事やなぁ~

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今年も残すところ、あと数日。
みなさん、有難うございました。(みなさんって、誰?)
来年も宜しくお願いいたします。
よいお正月をお迎えください!

2004年12月27日



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妹島和世の講演を聞いた

妹島和世(せじま かずよ)は今をときめく女性建築家である。 1,956年茨城県に生まれ、伊東豊雄の事務所を経て1,987年に独立している。(ぼくと同い年か。。)   オランダの建築家 Rem Koolhaas(レム・コールハース 1,944年~)の信奉者であったけれど、今では彼女の建築スタイルが若者に多大な影響を与えている。 伊東豊雄、そしてその師匠である篠原一男の影響もうかがえる彼女の建築のイメージを色で例えれば、白と透明であろう。 「白」だけなら旧態依然のモダニズム建築になってしまうが、大胆に用いる透明ガラスとポップな様相が今の時代の空気を敏感に反映している。

最新作は金沢21世紀美術館。
今までにない新しい概念で建てられ、そして運営される美術館としてマスコミをおおいに賑わせたのでご存知の方も多いと思う。 学芸員だけでなく、そこに展示する現代美術家自身が建築計画に関わっており、その結果として、建物が現代美術と融合している実にユニークな美術館だ。 外と内を隔てる、いわゆる「壁」が無く、開放的でカジュアルだ。 なにより建築が大上段に構えていないので親しみやすく、形状も美しい。

70年代までの建築は、あまりにも自己完結的だった。
いわゆる「作品」としての建築が大手を振っていたように思う。 建築家は「先生」としてチンプンカンプンの理論でひとを煙に巻き、「都市」だ「共同体」だと大風呂敷を広げて独善的な社会性を強要し、歴史に残るような記念碑的な建築を誰もが目指し、建築は総合芸術であると大見栄を張っていた時代であった。
しかし、ぼくが建築を始めた80年代になると、そのような「大文字」の建築は、いかにも墓石のようでうっとうしく、時代の空気に合わなくなっていた。 それまで商業建築を見せ掛けだけのかりそめの建築として蔑(さげす)んできた建築家が、なんのてらいも無くそれに関わるようになったのもその頃だったように思う。 奇しくも彼女のデビューはそれと重なる。

妹島和世は自然体だ。
それが彼女の最大の魅力である。気さくではないが、偉らそうにもしない。 その人間性が彼女の建築によく現れている。支配しようとしない建築であり、おごらない建築でもある。 悪く言えば軽薄(? 軽くて薄い)な建築と言えなくはないが、今の時代がそうなのだから、かえって抵抗がない。
講演会などで聴衆から質疑があれば、彼女ほど誰に対しても誠実に答えようと努力している建築家をぼくは他に知らない。 尊大で鼻持ちならない建築家たちを軽やかに飛び越え、ある意味、新しい建築家像を彼女は作った。

妹島和世の建築は「建築の終焉」でもある。
もうこれ以上消してしまえば建築がなくなってしまう。 実体のない建築が「建築」と呼べるのかどうか知らないが、そのような空間が近未来の建築であることを予感させる妹島和世の建築である。 しかし、振り子が逆に振れる可能性も否定できないだろう。

2004年12月20日



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「岡部伊都子集」読了

全5巻からなる「岡部伊都子集」は、8年前に岩波書店から出版されている。 彼女のファンである落合恵子と佐高信が中心となり、120冊を越える著書から38冊を選び、その中からいくつかの文章を採集して編んだものである。 ぼくは大阪市の図書館を利用し、今年の後半に少しずつ読んでいった。

岡部伊都子の名前は以前から知っていた。 しかし、女性文学にあまり親しみをもてないでいたためか、本を手に取ることはなかった。 ぼく自身、ジェンダーを越えることが、当たり前のこととして頭では理解しているのだが、文学にも無意識でジェンダーの壁をつくっていたのかもしれない。
今年の芥川賞で話題になった若い2人の女性作家をはじめ、江国香織・唯川恵・柳美里・宮部みゆき・川上弘美・吉本ばなな・山田詠美等、ぼくより若い彼女たちの活躍には目を見張るものがある。 あの山田詠美が芥川賞の選考委員をしている今の文学界である。

さて、岡部伊都子は1,923年(大正12年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)のタイル問屋の三女として生まれている。 12歳で女学校に入るが病気のため一年余りで中退。 以後18歳まで大阪周辺を転地療養する。
20歳のときに出征前の男性と婚約。 婚約者は「この国のために、天皇陛下のために自分は死にたくない」と彼女に正直な胸のうちを明かすが、彼女は「わたしなら、喜んで死ぬわ」と答える。 婚約者は沖縄で戦死。 以後これが彼女の「原罪」意識ととなり、今に至るまでつきまとうことになる。
23歳のとき13年上の男性と結婚するが、7年後離婚。 既に彼女の父は亡くなっており、家業であったタイル問屋も倒産していた。 母と二人暮しの生活が始まる。
お嬢さんから奥さんへ、それも比較的裕福な環境にいたため、自分で稼いで生活するという、想像すらしていなかったことが現実となる。 自分で自分を養ったことがない30歳の病弱な出戻り女。 老いた母をかかえた上に、まったくの無一文。 これが彼女の「原点」である。

病弱で学校にもろくに出席できないでいたことや、離婚後、一挙に社会的弱者へと転落した自身の体験が、彼女に社会的なことに目を向けさせ、弱者へのあたたかい眼差しをもたらしたことは確かである。 社会的な発言をする知識人は多いが、理屈ではなく、弱者を実際に体験している強みが彼女にはある。
しかしなんといっても彼女の持ち味は、日本の「伝統文化」や「美」に対する造詣と、育ちのよさからくる気品であろう。 文章にも気品は表れているが、これは得ようとして得られるものではない。 稀有であり、だからこそ執筆のみで生きてこられたのであろう。

彼女がもつ「加害のひと」としての「原罪」意識に反感を持つひとは多い。 戦争で親族や友人を亡くしたひとはなおのことであろう。 しかし戦時中、心からではないにしろ、日の丸を振って兵士を戦場に送った行為は、戦争に加担している行為でなくてなんであろうか。
まわりの状況がそうさせたであろうことは理解できるが、戦争が終われば平和を望むひとりの人間として、自分がした行為を反省するのが道理ではないだろうか。 すべて国や教育のせいにし、自身を省みないひとが多すぎるように思う。 はっきり言って、能天気で調子が良すぎるのだ。 そういう意味でも、ぼくは岡部伊都子に共感するのである。

あまり感心しない面もある。
彼女は何回か転居しているが、それが高級住宅地といわれる所ばかりだ。 確かに執筆活動には静かで、なおかつ都心に近いという環境が必要であることは理解できる。 しかしぼくには、社会的弱者の味方というイメージと高級住宅地というものが結びつかない。 恥ずかしくはないのか、と思ってしまうけれど、彼女自身心の中で折り合いを付けているのであろう。 ぼくにしても、マザー・テレサのような生き方を期待しているわけではない。

彼女は父親と離婚した夫を執拗に憎んでいる。
またそれをたびたび文章にも書いている。 むかし彼女の家に住込みで奉公していたひとが、何十年ぶりかで彼女に会ったとき、仏壇に母親と戦死した兄の写真しかないのを見て寂しそうに、 「あまりお父さんを憎んだらあきまへん。 こいさん(岡部伊都子)のことえらい可愛がったはりましたで。 お母さんと一緒に拝んであげなはれ」 と諭されたりするのである。 憎む理由はよくわかる。 しかし差別や争いごとを誰よりも嫌うのであるのなら、相手を「許す」ということも大切なのではないだろうか。
如何ですか、岡部さん?

2004年12月13日



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大阪ブルーノートでライブを見た

先月西梅田にオープンしたハービスENTに大阪ブルーノートが移転した。 ブルーノートといえば、海外一流アーティストのライブを、座席数 2~300程度のこじんまりした空間で見ることが出来るので人気がある。 ただその分チケットが高くなることは否めない。
客層は一般のロックやジャズのライブハウスより少し裕福さを漂わせている「大人」が多い。 職業と同じで音楽にも貴賎はないのだけれど、ショービジネスゆえ、このような階層が出来てしまうのは仕方のないことであろう。 当然ぼくは、ブルーノートの常連になれる身分ではないし、それを望んでもいない。

今回見たのは Incognito(インコグニート)というイギリスのAcid Jazz(アシッド・ジャズ)系のバンドだ。 25年のキャリアを持つ彼らのサウンドは、都会的で非常に洗練されている。実にカッコいい。 サックスやトロンボーン、そしてトランペットの音が耳をつんざき、頭の中を浄化してくれる。 心臓にまで響くドラムの音が心地よい。 音楽はやはり生(なま)が良い。 演奏者や歌手を見ながら、彼らと同じ空間でその音を聴くというのが一番贅沢だ。 CDやラジオはお手軽だけれど、やはり代替ものとしての限界がある。




いつも思うことだが、ミュージシャンというのはどうしてカッコいいのだろうか。 Incognito のメンバーをつぶさに見ても、容姿に優れているとはおせいじにもいえない。 その彼らが楽器を持って演奏しだすと途端にカッコよくなってしまうのだ。 建築家が鉛筆を持って何か描き出すと途端にカッコよくなる、なんて聞いたことがない。 ミュージシャンに比べたら建築家なんて(ぼくも含めて)スノッブで、ダサい人間であるように思える。
これまでいろんな建築家を見てきたけれど、考え方や人間性に魅力を感じたひとはひとりもいなかった。 美しい建築を見てその設計者に過分の期待をし過ぎるためか、ほとんどが失望に終わる。 職業としてはカッコいいと思うのだけれど。。。寂しい限りである。(自戒を込めて)

「良質の音楽と最高の雰囲気が創り出す、大人の為のエンターテインメント空間」とうたっている大阪ブルーノートだが、ステージが狭い。 Incognito 自体11人編成のため、余計に狭く感じたのかもしれないが、それにしても奥行きが狭すぎるように思う。 演奏者が窮屈な思いをするだろうし、空間が貧弱に見える。人間にもいえるが、「奥行き」というのは大切だ。
また1階にある観客席のテーブルも、小学校の教室に並べられた机のように所狭しと列を成している。 とてもじゃないけど、先のうたい文句からは程遠いように思った。 少しでも詰めて多くの人を入れようとしたのだろう。 計画したひとが悪いのか、経営者が欲張りすぎたのか、残念である。

仕事帰りにこのようなライブを聴きながら一杯やる、という生活習慣がなかなか根付かない日本ではあるけれど、もう少し音楽や芸術を気軽に楽しめる空間がたくさんあればいいと思った。

2004年12月6日



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ひとが熊に襲われる被害が多発している

イノシシに畑を荒らされたという話もよく耳にする。 いまの日本は、野生動物にとって非常に生きにくい環境であるのだろう。 そもそも四方を海で囲われた島国である日本で、人間も含めた動物が生きていくには、限られた資源を有効に使うだけでなく、その資源が常に再生産されなければならない。 いわゆる「持続可能(sustainableサステイナブル)な生態系」が必要になる。
ひとは海を越えた交易をすれば、すべての食料を自国でまかなう必要がないため、「持続可能な生態系」というものに無関心になりがちであるけれど、熊やイノシシなどの野生動物にしてみれば、それがなければ死活問題である。 それに多少の天候不順による不作に対しても、充分しのげる食物が常に必要であろう。

24年前から長野県の山間部に住む作家 C・Wニコル氏は、ひとが熊に襲われて命を落としたことに対する恐怖や怒りも理解できるが、今こそ「悲劇の背景にある事実」に目を向けなければならないと提言している。(041029 朝日新聞/朝刊) それによれば、熊が人里に下りてくる原因として、今年の悪天候によるドングリの不作、台風で内陸部まで吹き寄せた海水による塩害、地球温暖化に伴う森林害虫の増加、という自然要因以外に、下記の人為的要因をあげている。
    1. ダム建設による川の餌場の減少
    2. 混交林から実をつけない針葉樹単一林への変化
    3. 樹木伐採後の放置による森林の荒廃
    4. 無造作に捨てられた生ごみ

安全な生活を保つために熊を殺す、という安易な対処法では根本的な解決にはならないだろう。 もしぼくたちの未来像として、「自然との共生」を望むのであるのなら、ぼくたち人間がなすべきことはたくさんあるような気がする。

熊と人間といえば、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を思い出す。 熊取りの名人・小十郎が、かねてから目をつけていた大きな熊を獲ろうとして山の頂で休んでいたとき、突然その熊が現れ、襲われてしまう話だが、人間と動物の「共生」という点で示唆に富んでいる。

『小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。 熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。 さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。
ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。 ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。 犬がその足もとに噛み付いた。 と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。 それから遠くで斯(こ)う云うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった。」
もうおれは死んだと小十郎は思った。 そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。 熊ども、ゆるせよ。」 と小十郎は思った。 それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。』

小十郎はなにも熊が憎くて殺していたのではなく、自分が生きていくために殺していたのだが、熊もその事情はよくわかっている。 「おまえを殺すつもりはなかった」と熊が言えば、「熊ども、ゆるせよ」と死ぬ前に小十郎は、これまで多くの熊を殺してきたことを心の中でわびている。
厳しいけれど、これが「共生」というものなのだろう。

以前、哲学者の梅原猛は「共生」について以下のように述べていた。

『最近、新しい文明の原理として「共生」ということがしきりに言われる。 しかし人間と動物の間には、「食う→食われる」という一方的な関係が存在しているのも確かなことである。 真に「共生」ということを考えるならば、この関係を「食われる動物」の側からみなければならない。』

読者が投稿する短歌欄(朝日歌壇)に、先日熊についての歌が選ばれていた。

       射殺されし熊の胃の中柿ばかり と語る獣医師憂いに満ちおり     (水戸市/松下 亨)
       柿喰いて撃たれし熊も撃つ人も かなしき天地石蕗(つわぶき)咲きぬ     (茅ヶ崎市/相澤孝七)

とはいっても、熊に殺されたひともいる。

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先週、東京にあるホテルの正面玄関で、韓国の人気俳優ペ・ヨンジュンさんが乗った車にファンたちが殺到し、10人がけがをしたという。 ペ・ヨンジュンといえば、最近日本で放映され、中高齢の女性から熱狂的な人気を得た韓国ドラマ「冬のソナタ」の主人公を演じたひとで、通称「ヨン様」というらしい。 けがをしたのはいずれも40~50代の女性。

ベッカム様の次はヨン様ですか?
いやはや。。。いいですね~(笑)

2004年11月29日



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The Blues Movie Project という映画を見た

日本でもお馴染みの St. Louis Blues を作曲したW.C.ハンディ(William Christopher Handy)というひとがいるのだけれど、彼はアメリカ南部を演奏活動しながら放浪していたとき、そこで出合ったブルースを譜面として残しておいたという。 昨年(2,003年)は、彼が史上初めてブルースを楽譜化してからちょうど 100年ということで、ブルース発祥の地であるアメリカでは数多くの記念行事が催された。
その記念行事のひとつとして、Martin Scorsese 監督の監修のもとでつくられたブルースのドキュメンタリー映画が、The Blues Movie Project である。 7人の監督がそれぞれの手法で撮った 7本のドキュメンタリー映画からなるが、今回ぼくが見たのはそのうちの 4本だ。

そもそもブルースは、1,890年代にアメリカ南部のミシシッピ川とヤズー川に挟まれたデルタ地帯で生まれたといわれている。 音楽的には 3つの要素が混ざっており、ひとつは黒人のルーツである「アフリカの民俗音楽」、もうひとつは黒人奴隷が歌った「労働歌」(特にひとりで歌うフィールド・ハラー(field holler)と呼ばれるもの)、あとひとつは、ゴスペルソングのもとである「黒人霊歌」である。
要するに、過酷な労働や貧困を、自身のルーツであるアフリカの音楽に託して救いを求めた歌が ブルースといえるのだろう。
1,860年代の南北戦争のとき(「風と共に去りぬ」の時代)には、まだブルースが形成されていなかったのだから、比較的新しい音楽でもある。 このブルースをもとにジャズやロックが生まれ、今ではブルース自体も大きく変化して大衆に親しまれるようになった。 当初アメリカの黒人にしか受け入れられなかったブルースが、1,960年代にはイギリスの若者の心をつかみ、いまや世界中で音楽の主要なジャンルのひとつとなっている。

日本でも戦前から「ブルース」と呼ばれるものがあった。
淡谷のり子は、服部良一作曲の「別れのブルース」を 1,937年(昭和12年)にヒットさせ、「ブルースの女王」と呼ばれていたそうだ。 服部良一は、その頃ダンス・ホールで流行っていた St. Louis Blues を参考にこの曲をつくったという。 ブルースの日本伝来は思っていたより早く、驚かされる。ぼくの知っているところでは、青江美奈の「伊勢左木町ブルース」や美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」等、それに変わったところでは、笑福亭仁鶴の「おばちゃんのブルース」である。(古いなぁ~。。。)
しかしこれらは、ブルースといっても本来のブルースとはまったく異なる。 憂鬱で、哀愁をおびた歌を「ブルース」と呼んでいたみたいだ。 歌手も高価なドレスや背広姿で歌っていた。
本質を(わざと?)とらえないで、うわべだけをすくい取り、日本の味付けにして大衆化するなんて、まさに日本人の得意とするところだ。


さて本来のブルースだけれど、歌っていたひとは有名になろうとしたり、それでひと儲けしようとしたのではなく、ただ生きていくために(お金を施してもらう手段として)ブルースを歌っていたのである。 普通の労働に従事できない目の不自由なひともたくさんいた。歌詞は孤独、放浪、博打、不倫、犯罪、絶望感等を即興的に歌ったものが多い。 いたって個人的ではあるが、よく似た境遇の仲間内では、充分共感し合えたのであろう。

では現代のぼくたちは、黒人奴隷たちが受けたような過酷な体験をしていないのに、どうして ブルースに心を打たれるのであろうか。

生きている世界があまりにも違うため、歌詞には共感しにくい。 またブルースは、ひとを惹きつけるために、音楽的に高度な技巧を凝らしているわけでもない。 幼稚といえるほど、実に単純な歌詞と音階の繰り返しである。
ぼくが思うに、彼らの声や歌い方、あるいはギターやハーモニカの演奏は、一切飾り気がなく、あざとさのない率直さを持っているが、それがそうであるほど、それらから醸し出される情感がひとの心に強く訴えかけてくるのではないだろうか。
それは多分、何千年、いや何万年もの大むかし、ただ生きていくことだけに必死になっていたであろうぼくたちの先祖から受け継がれてきた「遺伝子の記憶」が、彼らの歌声に呼び覚まされ、それがブルースという音楽に共振しているのかもしれない。
現代人がもつ理性や知性、あるいは感性などとは無縁の、闇夜を恐れていた頃の「人間という動物」がもっていた「獣(けもの)としての悲しみや狂気」の叫びがブルースであるような気がする。
海を越えても、肌の色が違っても、ひとの心の奥底にまで届く強度を持ちえているブルースなるものに、ぼくは憧れてしまうのだ。

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天声人語 / 11月20日付 朝日新聞
「転石苔(こけ)を生ぜず」ということわざがある。 「転がっている石( rolling stone )には苔が生えない」という英語から来ており、二通りの意味を持つようになったと辞典にある。 「転居や転職を重ねていると財産も地位も身につかない」と「常に活動しているものはいつまでも古くならない」
米国の音楽誌上で「転石」の絡み合いがあった。 「ローリング・ストーン」誌が載せた「史上最も偉大な 500曲」で、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が 1位に、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」が 2位になった。 選んだ側の好みも出たのだろうが、60年代を思い起こさせる曲である。
この「転石」誌の来歴を描く『ローリング・ストーン風雲録』(早川書房)に、60年代半ば、3曲の最も有名な歌詞が電波に乗って飛び交ったとある。 すべての孤独な人々( All the lonely people )。どんな気持ちだい?( How does it feel ?) 全然満足できないよ!( I can't get no satisfaction!)
最初がビートルズの「エリナ・リグビー」、次はディランの「ライク・ア……」、最後が「サティスファクション」の一節だ。
大戦終結からざっと 20年、戦後育ちが巨大なかたまりになって大人になりつつあった。 既成秩序への反抗と受容が問われた時代を、彼らは心の奥に響く言葉と旋律で歌った。 それは、今もなお、どこかで転がり続ける石のようで、古びることがない。
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嬉しい ♪
2004年11月22日



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本田宗一郎と井深大(いぶか まさる)展をみた

副題は-夢と創造-「もの」づくり・町工場から世界へ。 言わずもがな、本田宗一郎はHONDAの、井深大はSONYの創始者で、前者は1,906年(明治39年)静岡県生まれ、後者は1,908年(明治41年)栃木県生まれである。 彼らが戦後まもなく興した会社が、独創的な技術力で「世界のブランド」にまで成長したことは周知のことだ。 いま日本が技術立国として胸を張れるのは、彼らのような先人に負うところが大きい。
さて、建築家といえども「技術屋」の端くれである。 展示されている「機械」を見ていると、やはり心がときめく。 好きなものに囲まれている心地よさは、なにものにも代えがたい。 そもそも、HONDAやSONYが隆興し始めたころは、「機械」が機械らしくあった時代であったと思う。 機械の構造が露出しており、それがデザインに昇華されている。 「機械美」とでもいえる美しさがあったのだ。 今の、たとえばパソコンなどは、メカニックなものはすべて箱の中に隠されている。 それゆえ、中身とは無関係に箱だけがデザインされている状態だ。 必然性の無い、うわべだけのデザインであるため、流行には敏感だけれど心に響くものが無いよ うな気がする。 デザインの本質的な問題であり、建築にも通じる。
この展示会で、ぼくがもっとも興味を抱いたのは、創業時における彼らの「心意気」である。 それは会社の運営方針や創立の目的に表れている。

HONDAの社是にともなう「わが社の運営方針」
    1. 常に夢と若さを保つこと
    2. 理論とアイデアと時間を尊重すること
    3. 仕事を愛し職場を明るくすること
    4. 調和のとれた仕事の流れを作り上げること
    5. 不断の研究と努力を忘れないこと

SONYの設立趣意書にある「会社創立の目的」の最初の2項目
    1. 真面目ナル技術者ノ技能ヲ
        最高度ニ発揮セシムベキ、
        自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設
    2. 日本再建、文化向上ニ対スル
        技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動

「夢と若さ」とか「愉快な理想工場」なんて、読むだけでこちらまでワクワクしてしまう。 本田宗一郎と井深大の「技術」に対する「信頼」と「夢」が読み取れる。 ぼくは思わずノートを出してメモしてしまった。

いまはIT企業が時代の花形である。 ソフトバンク、楽天、ライブドア等が、プロ野球の球団をつくったり買収したり、すこぶる威勢がよい。 しかし彼らを見ていると、戦後の日本人に、世界に飛び出す「勇気」や「夢」を与えてくれたHONDAやSONYとどこか違うような気がする。 「感動」というものが無いのだ。 ぼくなりにいろいろ考えてみたけれど、多分、手を油で汚し、額に汗して働いてつくり上げた「技術」で世界の覇者になったのではなく、IT企業は吸収や合併、買収といったマネーゲームで世界の覇者になろうとしている単なる成金でしかないからだと思う。 いつの世も、成金は「お金や物」を誇示する。 逆に言えば、「お金や物」しか誇示できない悲しさがある。 ポケットマネー10億円をぽんと出すとか、高級車を何台も所有していると聞いても、驚きはするが「感動」はしない。 それが「お金や物」の持つ限界であろう。 「技術屋」の端くれであるぼくのひいき目かもしれないが、本田宗一郎と井深大のパイオニア精神は、そういう意味でも、次の世代が受け継がなければいけないものだと思った。

2004年11月15日



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Bob Dylan の自伝 Chronicles vol.1 が好評だ

先月の初旬にアメリカで発売されてからひと月になるが、New York Times に載る本の売上げランキングによると、ノンフィクション・ハードカバー部門でいまだ5位をたもっている。 今回は vol.1 だが、将来 vol.3 まで出る予定だ。Dylan ファンとしては、すこぶる嬉しい。
これまでにも Dylan に関する伝記はいくつかあったのだけれど、自伝となるとやはり意味合いが違う。 「事実」(fact)という面から見れば証言やデータなどを積み重ねて書かれた伝記の方がまさるかもしれないが、ぼくたちが知りたいのは「真実」(reality)である。 I (私)という一人称が主語になるこの自伝は、Dylan の「真実」が一杯詰まっていると信じたい。
amazon で原書を購入したけれど、写真などまったく無く、300ページに及んで英文だけがびっしり詰まっている。 正直見ているだけで、頭がくらくらする。
頼むから早く訳本を出してくれ!


先週の水曜日、いつもより早く家に帰った。
着替えていると、テレビから早口で話す聞き覚えのある男性の声がする。画面に目をやると、やはり何年か前、NHKから民放に移ったキャスターだった。 NHKでもそれなりの地位を築いていたし、なにより風貌や態度があまりお茶の間向きではないので、民放に移ったときは少し驚いたものだ。 でも今は、ニュース番組を任されて活躍している。 確かに「良識」というものを感じさせるひとではある。
そのときは、新潟中越地震を報道していた。 以前ロスアンゼルスで地震があった際、「火事場泥棒」の盗難が多発したことに触れ、日本では絶対そのようなことは起こらないと彼は思っていたという。 しかし、新潟でその盗難があったらしい。 彼はこのことをひとしきり残念がり、最後に次のようなことを言った。

「犯人は絶対に日本人であって欲しくない、と願うばかりです」

ぼくは一瞬、耳を疑った。
自分の属する国やその国民(民族)を愛する気持ちは大切だと思う。 外国人が日本に来て、その中の一部の人たちが罪を犯しているのも事実だ。(当然その逆、日本人が外国で罪を犯すこともある) しかし彼の発言には、前振りから察すると、「外国人の犯罪なら仕方がない。 彼らはそのような民族なのだから」という意味と「悪い人間はあまたいるが、少なくとも日本人はそのような悪い人間であって欲しくない」という意味が含まれていると思う。 前者は一種の選民意識であり、後者は一般的な意見であろうけれど、どこか内向きの思考を感じさせる。 たとえば事故があった場合、自分の身内や知り合いが巻き込まれていないことを案ずる気持ちとは、どこか根本的に違うような気がする。

日本人でもフランス人でも朝鮮人でもいいじゃないか。

生まれいずる時、国籍や民族は自ら選べるものではない。 そのようなものをどうして「個人の行動」に関連づけようとするのか、ぼくにはよくわからない。 「国家」の一員としての「個人」を免れることは出来ないけれど、もとはと言えば「個人」の意思の集合体として「国家」という概念をつくったのではないのだろうか。 主客逆転してしまうと、どうも生き難くて仕方が無い。
2004年11月8日



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日本人の青年がイラクで拉致され、殺された

この青年は旅先で知り合った日本人やホテルの従業員から、再三イラク入りを思い止まるよう説得されていたにもかかわらず、バスでアンマンからイラク入りしたという。 しかしイラクに着いても所持金が少ないうえ、外国人を泊めるとテロ組織に狙われやすいという理由でホテルには泊めてもらえず、2日後、仕方なくアンマンへ帰るバスを待っていたところを拉致されたらしい。
米国を憎むテロ組織が、イラクに派兵している国の民間人を捕まえては人質にして、軍隊がイラクから撤退することを要求し、それがかなわなければ容赦なく人質を殺害している。 このような危険な状態が続いているため、日本政府は民間人のイラクへの入国を禁止している。
日本人では、4月にフリーカメラマンやボランティアの青年ら 3人、続いてフリージャーナリストら 2人が拉致されたが、この時はともに無事解放されている。 しかし 5月には、フリージャーナリスト 2人が路上で射殺された。 今回の青年は今年 1月から外国を旅しているので、このようなイラク情勢がよく理解できていなかったのかもしれない。 それにしても、説得を振り切ってまでも好奇心に任せてイラク入りした行為は、無謀としか言いようがない。

人質に対して、「自己責任」論が大手を振って闊歩する。
禁止されていることを無視し、自分の判断で勝手に行動したことに起因する災難は自分で責任を持って解決する、という自己責任論は当たり前の論理である。 しかし、その災難が人間ひとりではどうしようもない場合、この自己責任論ほど無力なものはない。 だって、どうしようもないのだし、責任をとろうにもとれないのだ。死んで解決する話でもない。
人質に対して自己責任論を持ち出すひとは、いったいどのような責任のとり方を期待しているのだろうか。 政府や国民にいらぬ心配をかけ、莫大なお金と時間を費やしたことの責任を要求しているのであるなら、それは間違っている。 なぜなら、国はいかなる国民であっても、彼らを守る「義務」があるからだ。(酔払い運転で事故を起こしても、とりあえず救急車が来てくれるじゃありませんか。見殺しにはしませんよ) じゃあ、国民を騒がせた責任? そんなもの始めからないでしょ。 誰も本気で心配などしてないくせに、責任をとれ、とは言えないはずだ。 要するに、人質は誰に対しても責任をとる必要はないのだ。

そもそも「自己責任」という言葉は、他人に対して使う言葉ではないような気がする。

自分に言い聞かせる言葉であるはずだ。歳をとって、自分のケツも拭けなくなるであろうぼくたちに、自己責任などと他人に言う資格はない。

ただ、この青年の顛末は「自業自得」ではある。
みんなに反対されても、イラクへどうしても行きたかったのだろう。 いろんな人に迷惑をかけたり、悲しい思いをさせるかもしれないけれど、彼はイラクに行きたかったんだ。 拉致され、さぞ怖かったことだろう。 誰しも死ぬのは嫌だ。 「日本」に迷惑をかけているのが辛かったかもしれない。

青年よ、しかたがないじゃないか。
こうなったのも、自業自得なんだ。

とはいっても、「自業自得」ではおさまらない親族や友人の悲しみは深い。 この青年がどのような家庭に育ち、どのような人格であったのか、ぼくはまったく興味がない。 ただ、「イラクの人たちに一日も早く平和が訪れますようお祈りいたしております」としか言えなかった親族のコメントもさることながら、

「世界中の人にバカと非難されてもいいから、顔を見せてほしかった」

という友人のことばが、やけにぼくの胸にせまった。
そういえば何年か前、気球に乗って世界一周する、と言って天高く舞い上がって行った「おじさん」がいた。 マスコミや世間のひとは、その自殺行為をバカにして笑っていたけれど、ぼくは彼をバカにしている奴らが大嫌いだった。

2004年11月1日



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秋、徒然

秋は天災が多い。
台風23号の被害がおさまらないうちの新潟県を中心とする中越地震。 TVで被災地からの中継を見ていると心が痛む。 悲しむひと、怒るひと、諦めるひと、被災者の一言一言は、まさしく「人間のことば」である。 陸路が断たれたために、食料が満足に届いていないことに加え、雨や寒さが追い討ちをかける。 被災された方たちが一日も早く普通の生活に戻れるよう、ただただ願うばかりである。
京都府舞鶴市で水没したバスの屋根の上や木にしがみついて、一晩中耐え続けた人たちには驚かされた。 ほとんど年配の方であったようだが、みんなで肩を組んで「わっしょい、わっしょい」と叫んだり、「上を向いて歩こう」を歌ったりしていたという。 どんな状況下でも、なにひとつ楽器や道具を持っていなくとも、ひとに勇気と団結をあたえてくれる「音楽」というものは、本当に素晴らしいと改めて思った。

秋は芸術に親しむ。
今年の秋は偶然、日本の文化・伝統にまつわる展覧会を 3つみた。
先ずは、「祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝~」。 今年の7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのを受けて催されたので、会場は満員。 現地の「熊野古道」もすごい人気があったそうだ。 源慶作の木造・蔵王権現立像が展示されており、睨まれているようで、こわいこわい。
次は、「古唐津と太郎右衛門窯展」。 古唐津は実に素朴で、土のざっくりした感じと単純化された絵模様が気に入った。 特に絵模様はマチスに通じるモダンさがあり、昔の職人はみな芸術家の域に達していたんじゃないかと思わせる。 また「かすがい」という、割れたものを「銀のかすがい」で留めている茶碗もあり面白かった。 遊び心か、風流ですな。。。
最後に、毎年恒例の「日本伝統工芸展」をみた。 これは本当に素晴らしいものばかり。 大阪では三越百貨店で開催されるのだけれど、今年は会場のある階でエレベーターの扉が開くと、あまたの展示品が一挙に目に飛び込んでくる構成になっており、まるで浦島太郎が龍宮城に着いたときの心境(知りませんよ)になった。 あとは頭がのぼせ上がって、見るもの見るもの欲しくなった次第である。 ひとつ家にあるとオーラを放つんだろうなぁ~。

秋はひと恋しくなる。
名古屋で学生生活していた頃、同じ下宿にいた3才年下のE君が昨日突然 E-Mail してきた。 ぼくが大阪に戻って、よる学校に通っていたときに電話をもらった記憶があるので、かれこれ25年ぶりだ。 建築家を検索していたら、たまたまぼくの名前があったので、本人か否か確認する E-Mail だった。

「天野秀一さんは・・・ボブディランがとても好きだったあの天野さんでしょうか?」

そうや!
Bob Dylan をこよなく愛し続けている、あの天野や!
嬉しかった

朝日新聞に大岡信の「折々のうた」という人気コラムがある。 10月17日付朝刊に石川啄木の親友、土岐善麿(とき ぜんまろ)が啄木の亡くなった数年後に詠んだ歌が取り上げられていた。 啄木といえば、悲しみ・貧困・夭折というイメージが強いけれど、土岐のような親友がいた「幸せもの」でもあったのだ。

石川はえらかったな、と
おちつけば、
しみじみとして思ふなり、今も

2004年10月26日



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ぼくは「暴力団排除宣言都市」から通勤している

事務所のある天王寺へ通うのにJRを利用しており、それがぼくにとって大阪市内に行く一番便利な方法である。 近鉄も2つの路線が走っているけれど、少し遠回りになってしまう。 高等学校に通ったときも、名古屋から大阪に戻って働き始めたときも、そのJRを利用した。 今では酔っ払っていようが、何か考え事をしていようが、気がつくといつものJRに乗っている。
通勤に利用する駅は、ぼくが住む隣の町にある。 幼稚園から中学校に至るまで、ぼくは地理的な理由から越境してその町の学校に通っていたので、 その町は幼い頃からぼくの生活圏であったし、今でも友人・知人が多くいる。 以前ここにも書いたけれど、その町の祭りにも幼い頃から親しんできた。 実感はないけれど、いわばその町がぼくにとっての「故郷」になるのだろう。
さて仕事を終え、いつものように天王寺からJRに乗ってその町の駅で降りる。ホームの陸橋を渡り、改札口を出て、つい見るともなしに駅前ロータリーの右手を見てしまう。 急にぼくは憂鬱になる。

「暴力団排除宣言都市」

と書いた高さ5~6mもある直方体の大きな看板が建っているのだ。 どうしてわざわざこのようなことを書いて、町の玄関でもある駅前に掲げなければならないのか理解に苦しむ。 この町に始めて来た人がこの看板を目にしたら、暴力団がいっぱいいて危ない町だと思い込んでしまうではないか。 啓蒙のつもりで建てたのであろうが、「猛犬注意」よろしく警戒を呼びかけているように受け取れる。 そこでこの町のイメージアップのためにも撤去してもらった方がいいと思い、「よその市民」であるのにかかわらず、昨年その旨の e-mail を役所に出した。 早速返事が来たのだけれど、内容は、市議会で「暴力団排除宣言」を可決し、駅前に看板を建てることで多くの市民にそのことを知ってもらい協力を呼びかけているというもので、いかにも役所的な対応で腹が立った。 そんなこと毎月配る市の広報とか回覧板で呼びかければ済む話じゃないか、とぼくなどは思ってしまう。 この前も新進気鋭の若い市会議員が駅前に立って自らの活動報告をしていたので、彼ならと思い看板のことを言ってみたが、「あれっ、ほんまですね~。ぜんぜん気付きませんでした」といった能天気な具合である。

この町に良心はあるのか!(笑)

それにしても、幼い頃から親しんでいるこの町で、ぼくは暴力団をいまだ見たことがない。 隠れ潜んでいるのか、ぼくとの生活時間や場所が違って会うことがないのかよくわからない。 そこで町の工務店の人に聞いてみた。

「おりまんがな~、ぎょうさん」 (標準語では、「いますよ、たくさん」 笑)

あじゃ~、いたのか。。。知らなかった。ということは、ぼくは暴力団に囲まれて育ったことになる。 いや、もしかすると何かとお世話になっているかもしれない。 頭が禿げて髭をのばしていた時、(おかげさまで髪の毛は元どおりになり、髭も剃りました!)どうも人相が悪かったのも、その影響があるのかもしれない。 がらの悪い言葉も使おうと思えば、難なく使える特技もある。 無意識のうちに暴力団的環境が人間形成に影響してしまっているのかなぁ~(笑)

そんなことどうでもよい。
問題は駅前の看板だ。街並み、あるいは街のイメージという面からも大きな広報看板はよろしくない。 しかもこの駅前には他にも四角い箱型の大きな看板が2~3本立っている。

「市税は納期内に納めましょう」 (わかってるわっ!)

「水道料金は口座振替で」 (余計なお世話だ!)

「すこやかなこどもを育てる宣言都市」 (また宣言ですか、好きやなぁ~)

おまけに、狂った時計まで建っている。要するに、駅前は看板や時計が林立した状態で、いたって汚いのだ。 こんなものを建てるより、少しでも多く木を植えたほうが、美しい駅前になり、市民の心も和ませ、そしてなにより町のイメージアップになるのではないだろうか。 善良なる「よその市民」であるぼくは、その市のセンスの無さに憤りを覚えるだ。
みなさんの町の駅はどうですか?

2004年10月18日



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落合博満 とイチロー

落合は監督として一年目の今年、中日ドラゴンズを優勝に導いた。 一方、イチローは大リーグで年間最多安打記録を84年ぶりに更新した。 プロ(職業)意識がいたって強いこのふたりに共通するのは、個人主義である。
あまり周りに同調しないで常に自分の判断で行動しており、それでいて自分自身が良い結果を出すことにより、周りのために貢献している。 個人主義の最も理想的なかたちといえるのかもしれない。 しかし、それは結果が出ているからであり、もし結果が出なければ「わがまま」として切り捨てられることになるのだろう。 協調性を重んじる日本の社会では特にその傾向が強い。 良い結果などそう簡単に出せるものではない。 個人主義が単なる「わがまま」としか認識されていない社会では、実力があるにもかかわらず、あるいは将来の実力を秘めているにもかかわらず、結果を出せなかったために埋もれてしまった人がたくさんいるはずだ。 もったいない話である。 うがった見方をすれば、自分に自信のない人ほど声高に協調性を主張し、個人主義を排除しているのではないだろうか。 協調性が大切なときもあるけれど、それに縛られている社会も息苦しい。

さて、同じ個人主義でも人間性というものが加味されるせいか、落合とイチローのそれは相当違うように思える。

落合は管理社会を嫌う「一匹狼」だ。しかし常に社会(チーム)の中の自分というものを意識しており、理不尽な抑圧に対しては自分と直接かかわりがなくとも牙をむく。 表現はいたって「ふてぶてしい」が、どこか「照れ」があるようにもみえる。 正論をはく自分が恥ずかしいのだろう。自分の好きなこと(野球)以外はあまりこだわらず、どちらかいえば開放的である。 奥さんや子供の露出を喜んでいるふしもある。 先のプロ野球ストライキ騒動で、落合はチームの選手会長に以下の激励をしたという。

「選手会として、徹底的に戦ってこい。 優勝や日本シリーズがなくなってもかまわない。 世の中には、それ以上に大切なものがある」

イチローは自分に厳しく、「孤高」というイメージがある。 目的を達成するために綿密な計画を立て、雑音は出来るだけ排除し、それを忠実にこなしていく。 あくまでも自分との闘いだ。 その結果、社会とのかかわりは多少希薄になる。 茶目っ気もあるけれど、容姿がスマートである分どうしても「クール」な印象が前面に出てしまう。 管理社会よりも厳しく自分を管理しているためか、特にそういう社会を嫌っているようには見えない。 自分の今おかれている状況で最大限の努力をすれば道は開ける、と信じているのだろう。 またそのようにして今に至っている。 彼は今回の記録を達成したときのインタビューで、自分にとって満足できるための基準は何かと問われ、以下のように答えている。

「少なくとも誰かに勝った時ではない。自分が定めたものを達成した時に出てくるものです」

落合とイチローのもうひとつの共通点は、野球が大好きであることだ。

2004年10月11日



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異例の判決

10月1日付朝日新聞(夕刊)によると、大阪市内で 5人の女性に対して暴行を繰り返したとして強姦や強盗などの罪に問われた 34才の男性に対し、大阪地裁の裁判長は、

「女性の人格そのものを蹂躙(じゅうりん)する犯罪であり、被害は心身にわたって深刻。 求刑は軽きに過ぎると言わざるを得ない」

と、検察側を批判し、求刑を 2年上回る懲役 14年を言い渡したそうだ。 裁判のことはあまり詳しくないのだが、弁護側は被告人の行為について弁護するが、検察側は被告人が犯した罪の証拠を示してその罪の重さを強調し、刑罰を主張するのが一般的なわれわれの認識ではないだろうか。 そして裁判官が下す判決は検察側が求める刑よりも軽い場合が多いように思う。 そう考えると、この判決は実に異例である。 だから新聞にも取り上げられたのであろう。 この記事を読み、ぼくはこの事件や判決内容よりも、この裁判長に興味を持った。 じつは約1年前にも彼は新聞の記事になっている。 そのときは、生活苦から子供に食べさせるパンなどの万引きを繰り返していた47才の女性に対し、判決を言い渡した後に被告が退廷する際、一段高い裁判官席から身を乗り出し、被告の手を握って

「もうやったらあかんで。がんばりや!」

と声をかけたそうだ。 女性はその場で泣き崩れたという。 ぼくはこの記事を読んだとき、胸がジーンと熱くなった。 感動したのだ。 この裁判長の行為が職務上適切なものであるか否かはよくわからない。 しかし、人が人を裁くのであるのなら、こうでなければいけないのではないかとぼくは常々思っていた。 本当に人を裁けるのは、あるいは人を裁いても許されるのは「神」と呼ばれるものしかいないだろう。 ひとが人としてできることは、せいぜい人(原告・被告とも)に対して、その救済を手助けすることではないだろうか。 (そういう意味で、ぼくは「死刑」の存在価値がよくわからない。 この裁判長も将来そういう難しい判断をしなければならない時がくるのだろうか。。。) だから、判決にはひとの心が通っていなければならないような気がする。 でないと、ひとの心に届かないし、その人のためにはならないであろうから。

ぼくはこの裁判長の行動に共感する。 また職業としてよりも、ひとりの人間として彼が持っているであろう「裁く人」あるいは「ひとを裁かせて頂く身であること」としての崇高な使命感にぼくは強く打たれる。 裁判長といえども、何事も無難にやり過ごそうとして「事なかれ主義」と揶揄されることが多い国家公務員であり、上司や同僚・部下といった人間関係がうずまく組織の一員でもある。 それに、自己の確立していない国民性を持つこの国の「村」社会では、いくら正しいと思っても、前例の無いことや目立ったことをするのがはばかられるものだ。 (車内でお年寄りに席を譲るだけでも、周りの目を気にして、決死の覚悟と勇気がいる)この裁判長はこれらのことをすべて突き抜けるだけの強い「信念」を持っているに違いない。 そしてそれが、ぼくに計り知れない勇気を与えてくれるのだ。

今回取り上げたこの裁判長、実はぼくと幼稚園から高校まで同じ学校に通った S君である。 (もちろん彼は優等生、ぼくはいつも「落ちこぼれ」でしたがネ。。。笑)
S君、かっこいいぜ!

2004年10月4日



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近鉄バファローズが無くなってしまう

またまたプロ野球の話で恐縮だけれど、個人的には大きな問題なので取り上げることにした。 今回の騒動が、そもそも近鉄とオリックスの合併問題に端を発したことを考えると、結果はすこぶる残念である。 近鉄バファローズの礒部選手会長も経営者側との交渉にあたって努力したけれど、最後は難しい判断を迫られたようだ。

「球界発展のために、この闘いに幕を下ろす決心をしました。 申し訳ありません。近鉄への愛着や誇りは絶対になくなりません」

と、涙を流しながらの記者会見。 バファローズのことだけで、ストを含め、もうこれ以上迷惑はかけられないと思ったのであろう。 泣くな磯部、お前は本当に良くがんばってくれたよ。。。ありがとう。

近鉄バファローズが無くなれば、ぼくは来年からどこを応援すればいいのだろうか? 新球団オリックス・バファローズが大阪ドームを本拠地にするけれど、とても応援する気にはなれない。 バファローズ・ファンのほとんどはそう思っているんじゃないかなぁ。 ライブドアが近鉄を買収して、ライブドア・バファローズになったのならまだ応援する気になるのだけれど。 どうもオリックスという会社はスマートでクールな印象があり、バファローズ・ファンとしては取っ付きにくいのだ。 社長の宮内氏もビジネスマンを絵に描いたような人だし。 人間の感情は、これがダメになったから次はあれ、というように簡単にスイッチの切り替えができない。 さて、どうしようかなぁ~。

今のところプロ野球参入を希望している会社が 2つある。 初めに手を上げたのは「ライブドア」。 そして「楽天」がそれに続いた。 2社ともネット業界の新興企業だ。 会社としては「楽天」の方が規模が大きいし認知度もある。 面白いのは、社長のタイプがまったく異なることだ。 「ライブドア」の社長は、大学在学中にしていたホームページ委託製作のアルバイトが忙しくなり、会社を設立して学校を中退してしまった人。 会社は時代の波に乗って急成長。怖いもの知らずの32才。 一方「楽天」の社長は、学校を卒業して会社勤めをし、そこで人脈づくりに勤しみ、起業する業種を色々と検討した上でネット業界を選んだ人。 根回し・人脈の39才。 経歴が違えば服装も違う。 「ライブドア」の社長はノーネクタイのラフないでたち。 「楽天」の社長はネクタイにダーク・スーツというオーソドックスなスタイル。 面白いくらい対照的ですね~。 個人的には「ライブドア」に興味があるけれど、結果は「楽天」が勝つのだろうか。

さて、先日大阪ドームで行われた近鉄バファローズ最終戦の試合前ミーティングで、梨田監督が選手たちにこう言ったそうだ。

「近鉄のユニフォームに縫いこまれた君たちの背番号は永久欠番だ。今までありがとう」

いかん、これを書いているときにも涙が出そうになる。
近鉄バファローズ、色々な思い出をありがとう! (涙)

2004年9月27日



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選手会のストでプロ野球が中止になった

18日(Sat)と19日(Sun)にストが行われたが、関係者以外は直接影響を受けることはなかった。 ただ、ビール片手にテレビで野球観戦を楽しみにしていたひとは、少し物足りない休日を過ごしたのかもしれない。
ぼくは近鉄バファローズのファンであるけれど、バファローズの試合はテレビで実況中継されることが少ないため、休日の夜ビール片手にテレビで野球観戦、ということはやりたくても出来ないのだ。 だから地元の放送局が中継しているラジオを聞きながら、状況を頭に描いて一喜一憂したものだ。

一般的にセ・リーグは人気があるためテレビ中継されることが多く、パ・リーグ・ファンのぼくたちは羨ましく思っている。 観客動員数もセ・リーグが断然多く、5万人の大観衆が見守る中での試合なんてパ・リーグ・ファンの憧れでもある。
そのような日陰で育ち、その境遇にに慣らされてしまったパ・リーグ・ファンは、どこか屈折しているところがあるように思う。 何をやってもダメなんだという無力感と、セ・リーグなんて人気だけで実力はパ・リーグが上だ、という根拠のない過剰な対抗意識がないまぜになってぼくたちを屈折させているのだ。
翻って、パ・リーグ・ファンにも良い面がある。 常に下からものを見る弱者の目線を持っていること、そしてラジオ中継で養われた比類なき想像力。(笑)
セ・リーグ・ファンはパ・リーグのことをどのように思っているのだろうか。 「球界のお荷物」、あるいは「パ・リーグ?、まだあるの?」ぐらいの認識だろうか。 (どうもひがみっぽい)

さて、今回のストは近鉄がオリックスに吸収合併されるというのがそもそもの原因だ。 今の近鉄の順位は5位、オリックスは3年連続最下位(6位)が決まったばかり、という弱くて人気のないローカル球団同士。 高所から見れば、合併しようが消滅しようが、どうってことないことだろう。 しかし、それを自分たちプロ野球選手全員の問題として、そしてプロ野球界の将来のことを考えて行動している選手たちを見ていると、バファローズ・ファンとしては嬉しい限りだ。

ぼくは「労働」という言葉があまり好きではないし、普段意識していないので、「労使交渉」とか「ストライキ」というものにもあまり関心がない。 今は昔と違って、労働組合がほとんど機能していない会社も増えているという。 ある程度の待遇が保障されると、「連帯」よりも「個人」に向かうのは仕方のないことかもしれない。
でも「仲間である」という意識まで無くしたくないものだ。 今回のプロ野球の問題は、はじめは球団によってかなりの温度差があったようだけれど、最終的に選手たちは自分たちの仲間のために、自己を犠牲にしてまでも行動している。 法律知識に長けているわけでなく、また学生時代は学業よりもクラブ活動に熱心であったであろう選手たち、そういう彼らがひたむきに行動する姿を見ると、ただただ感動するのである。 明日を担う野球好きの子供たちには、今回のことから自分たちの言い分を通すための手法を学ぶのもよいけれど、あるひとつの問題に向かってみんなで行動することの素晴らしさを学んでほしいと思う。

「リストラ」というと「首切り、人員削減」と思っている人が多いけれど、本来「リストラ」とは restructuring の略で「再構築」という前向きの意味なんだ。 老害のためか、いやに保守的なプロ野球界もこの機会に本来の意味での「リストラ」を是非敢行してもらいたいものだ。

2004年9月20日



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日野原医師の医療用語についての提言

「生きかた上手」いう著書が大ベストセラーになった 92才の日野原重明医師は、過去に「成人病」を「生活習慣病」と呼び名を変えさせた実績がある。 今回は、「終末医療」とか「末期がん」という呼び方に異議を唱えている。 まったく同感。 「終末」とか「末期」ということばは、いかにも「手の施しようがなく、もう終わり」といった感じで、患者だけでなく、周囲のものにとっても希望が持てない無神経な表現であると思う。 いい呼び方は思いつかないけれど、患者が自ら口に出来るような優しい呼び方になればいいと思う。
これと関連して、以前から思っていたのだけれど、「水俣病」とか「A香港型インフルエンザ」のような、病名に地名をつけるのは如何なものかと思う。 「水俣」と聞くだけで、いまだにあのユージン・スミス(W Eugene Smith)の写真「入浴する母子像」を思い浮かべてしまうのはぼくだけではないはずだ。 水俣市民の方たちはどのように思っているのだろうか。

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日本IBMの営業マンに机はない。
9月10日付の新聞によれば、日本IBMのある事業所では、メーカー担当の営業部門約 900人が入る 14階の一室に、机が 300~400人分しかないそうだ。 全員そろうと、500~600人が「あぶれる」計算になる。 仕事をする時はどの机を使ってもよく、資料等はロッカーにしまうらしい。 朝っぱらから満員電車に揺られて出社するのにくたびれて、会社に着いたら居場所がない。(もちろん、家に帰っても居場所がない) 仕事の前に、席を確保するための椅子取りゲーム。 ぼくなら前日帰るときに椅子に名前を書いた張り紙しておくけどネ。 「オレの席、座るな!」と。 驚いたのが、試行期間を終えた社員の反応。 「顧客への訪問時間が約 4割増えた」 「社員間の会話が活発になった」 など肯定的な意見が多かったそうだ。 いやはや、よく飼いならされた羊たちだこと。 エサさえ与えていれば文句は言わない。 気をよくした会社側は、来年末までに他の営業担当約 5,000人にもこの仕組みを広げるという。 幹部いわく、「仕事がないのに、意味もなくパソコンに向かって座る時間が減るはずだ」

日本IBMの心優しき羊たちに告ぐ。
今すぐ会社幹部の机を占拠せよ!
彼らが引出しの奥に隠し持っているエロ本を取り出し、
それを丸めて顔面に一撃を与えてやれ!
そして各自、「野」に帰るのだ!
(但し、その顛末の責任をぼくは一切負わないけど)

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Microsoft 社が Windows SP(Service Pack)2を無料で提供している。
ウィルス対策としてだけれど、これをダウンロードすることにより、これまで正常に使えていたものに不具合が生じる場合がある。 ぼくもホームページに書かれている文字の間隔や行間が狭くなるというトラブルにみまわれた。 他人のコンピュータのデータやプログラムを改ざんしたり破壊したりする「クラッカー cracker」という人たちは、本当に迷惑な人たちだ。 何とかならないものか。 それと、インターネットでSiteを開いたときに出てくる広告も邪魔だ。 Siteを作る人にとってはスポンサーになるわけだけれど、いちいち広告を消すのが憂鬱で、その Siteを訪れる気がしなくなる時もある。 まだまだ発展途上だとは思うが、テレビのように操作が簡単で、もう少し快適にインターネットを見ることが出来るようになればと思う。

2004年9月13日



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飼っていたウサギが死んだ

家人は「アリス」と呼んでいたが、なぜかぼくは「ちーぼー」と呼んだ。 しかし、そのことでウサギが混乱しているふしはまったくうかがえなかった。 多分理解できていなかったんだと思う。性別はオス。かれこれ10年近く飼っていたことになる。 南向き 2階のベランダが彼のテリトリー。 朝一番、ベランダへ出る窓を開けると、ウサギは嬉々として走り回り、そしてこちらに飛んで来るのがいじらしかった。 ぼくにそのような態度を表してくれるのは、世の中ひろしといえど、このウサギ一匹だけである。(笑)

目はご多分に漏れず常に充血しているが、何かを訴えかけるような「まなざし」はいたって真摯だ。 彼に見つめられるとドギマギしてしまうぼくは、どこかうしろめたいものがあるのだろう。 汚れきった人間なら見返してやるのに、無垢な「まなざし」には無条件で恥じ入ってしまうのだ。 (たまに電車で乗り合わせた赤ちゃんに見つめられた時も同じだ)

また夜遅くそっと窓からベランダをのぞくと、前足を立てて座り、手すりの間から遠くを眺めているウサギの姿をよく目にした。 その哲学者のような粛然とした姿に、俗世間にまみれたぼくとしては、ただただ頭(こうべ)を垂れるしかない。 幼いときに親・兄弟から引き離され、異種動物(人間)に囲われながらしか生きてこれなかった悲しみや理不尽を、彼はどのように自分に納得させていたのであろうか。 ペットとして生きる動物の宿命と片付けてよいものなのか。 身勝手な人間のひとりとして、その原罪は背負い続けなければならないだろう、、とまで思わせる夜のウサギの姿である。

イケナイところもあった。 人間になれ過ぎてしまって、こちらが糞の始末やエサの入れ替えをしている最中に、仰向けになって気持ちよさそうに目を細めたりするのだ。 心臓など大切な臓器を外敵や自然から守らなければならない動物が、自ら仰向けになるというのは野生では考えられない。 だからそうしたウサギを見ていると、微笑ましくもあるのだけれど、嫌なものを見せられた気にもなる。 野生でないのだから仕方ないのだが。。。

10日ほど前のことである。 朝いつものように世話をするためにベランダへ出ても、ウサギはうつぶせになったまま動かない。 目を開け息をしていたが、いかにも衰弱しているように見えた。 前日までは元気にベランダを走り回っていたけれど、その朝はいつもと違うどこか死期を感じさせるものがあった。 そしてその日の夕方、静かに息を引き取った。

ダーウィンの進化論についての著作「種の起源」は有名だ。 しかし、どうも「進化」という言葉(訳)に誤解があるようだ。 その本では evolution(進化)ではなく、descent with modification(変化を伴う由来)という言葉を使っているらしい。 ダーウィンは「進化」という言葉を慎重に避けていたとも言われている。 よく、進化の究極が人間であり、その人間は万物の霊長(最もすぐれているもの)である、と言われるけれど、本当にそうだろうか?
例えば死に方ひとつとってみても、我がままを言って周囲を煩わせる往生際の悪い人間と、死期を悟ると静かに仲間から外れてひとり息を引き取る動物と、どちらが進化した姿なのか? 欲望の赴くまま過剰に摂取するわれわれ人間の肥満した生き方と、必要最小限のものしか摂らない動物のスリムな生き方と、どちらが進化した姿なのか? エコロジーとか自然にやさしく、などと耳ざわりの良い言葉を唱えながら自然を破壊し続ける人間と、自然の摂理に任せて謙虚に生きる動物と、どちらが進化した姿なのか?

一匹のウサギが、ぼくに多くのことを考えさせてくれた。
ありがとう。

2004年9月6日



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アテネ・オリンピックが終わった

競技日程の関係もあってか、日本人選手の活躍という面から見れば、竜頭蛇尾の感がある。 前半は柔道・水泳・男子体操、そして女子マラソンと大活躍だったけれど、後半はそれに比べると少しさびしかった。 メダルの数ばかり取りざたするのは如何なものかと思うが、今回獲得した金メダル 16個を男女比で見ると、なんと 7:9で女性の方が多い。 前回や前々回はどうだったのだろうか。 女性が強いと世の中安泰、などとわけのわからないことを考えてひとり悦に入っている。

プロレスラー、アニマル浜口の娘さんは偉かった。 潔いというか、プラス思考というか、ああいう状況の中で、それも短時間で気持ちを切り替えることができた彼女はすばらしい。 金メダルは取れなかったけれど、それに勝る大きなものを得たようで、見ているこちらまで嬉しくなった。 それにしてもお父さんの応援はすごかった。 迫力満点。 バラエティ番組を見ているようでテレビ観戦は面白かったけれど、会場に居合わせたひとは迷惑してたんだろうなぁ。 イカツイ顔してるし。。。

野球はプロ選手ばかりのドリームチームでのぞんだけれど、結果は 3位の銅メダル。 「長嶋ジャパン」として金メダルを意識しすぎたのかも知れない。 長嶋のために金メダルを目指す、って何を考えているのやら。 またそれを許す国民性にも?
この日本において「長嶋茂雄」という人物ほど偶像化されている人はいない。 ファンも含め日本の野球界は、この呪縛から開放されない限り明日はないだろう。 それなのに早速、4年後の北京オリンピックに「長嶋ジャパン」を期待する声があがっているのが、欝だ!

男子マラソンは、先頭を走っていたブラジル選手が 36㎞付近で何者かに妨害されるというアクシデントがあった。 それがなければ 1番でゴールできたはずだから金メダルを与えるべきだ、という声もあるが、これは神様でないと判断できない。 3位で競技場に入ってきた本人は結構満足していたように見えたけれど。。。日本人は 3人が出場。 個性がないというか、アクがないというか、ひかえめな人たちだったように思う。 もちろん成績もひかえめ。

ハンマー投げの室伏選手が繰上げで金メダル獲得。1位だった選手がドーピング疑惑で失格になったからだけれど、多分そのひと、クスリを使わなくても自分は1位になれたんじゃないかと悔やんでいるのではないかな? もしメダルに届かなければ、こんな成績ならクスリを使う必要がなかったと思うだろうし、どちらにしても後ろめたい行為はひとの心を悩ませる。
さて、棚ぼたで金メダルを手にした室伏選手は 「金メダルを期待していただくのは本当にうれしい。 でも、金メダルよりも重要なものがほかにもたくさんあるんじゃないか。 スポーツ、オリンピックを別の角度から見ることができるのでは。。。」と、金メダルをとったひとしか言えない(笑)しっかりした意見を持っている好青年。

マラソンで途中棄権したラドクリフが 1万mに出場するが、また途中棄権。 オリンピック開催前からぼくは彼女に入れ込んでいただけに、肩透かしをくらったような気分だ。 でも、本人が一番つらい。 テコンドーの岡本選手も、参加までの経緯があるだけに、初戦敗退に悔しい思いをしていることだろう。 なかなか上手くいかないものだ。 寝不足になりながらこの 2週間あまり、なんやかやと楽しませてもらいました。 すべての選手に乾杯!

2004年8月30日



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アテネ・オリンピックたけなわである

日本は柔道の野村・谷(田村)によるダブル金メダルを皮切りに、すこぶる調子がよい。 本番で持てる力を充分発揮できない選手が多かった過去の大会では、「日の丸」を過剰に意識していることが問題視されていたけれど、やっと少しずつその呪縛から解放されてきたのかもしれない。 それにはたとえば、競泳選手だった千葉すずの「オリンピックを楽しみたい」という発言が、国民の共感は得たけれど、日本水連のおとがめを受けて代表になれなかったというような、先人の苦労が礎(いしずえ)になっていることは間違いない。 その千葉に、学生時代から殴られても(腹が立つと、パーじゃなくてグーで殴るんよ、と千葉は言う) へらへら笑っていた山本貴司が、今回水泳チームのキャプテンとしてみんなをまとめ、自身も 200mバタフライで銀メダルを獲得したのは嬉しかった。 今は山本のよき伴侶である千葉は、家でも彼をグーで殴っているのであろうか?

柔道の谷亮子の行くところに道ができる。 大学に進学したとき、その学校はこの人のためにわざわざ柔道場をつくった。 就職した会社に「彼女が必要だというものにはすべて答えるのが会社の方針」とまで言わせている。 タイプの違う練習相手を 5人用意し、全員アテネに連れて行く。 旅費と宿泊料で 1,000万円。 会場で応援してくれるひとが必要だ、と彼女がいえば、350人分のチケットを会社が買い、その全員にはっぴやメガホン、小旗まで用意したという。 いやはや、、それでも憎めないのは、彼女の人徳か。

また、女子の重量級も強かった。 決して容姿に恵まれているとはいえないけれど、ぼくは彼女たちの戦いを見ていて、心の底からかっこいいと思った。 また優勝が決まって、コーチに飛びつき泣きじゃくる姿にも感動。 最重量級の塚田選手なんて、泣き顔が赤ちゃんみたいでかわいい、かわいい。

国民の絶大な期待を背負って出場した井上康生は、なんと敗退。見ているこちらがつらかった。 まじめな青年だけに、かわいそう。「日の丸」を意識するような少し古風な面を持ち合わせていたように思う。 谷亮子の図太さがこの人にはない。 あまり自分を責めず、これからは「柔道を楽しんでほしい」と心から願う。

男女ともサッカーは残念。 特に女子の最後まであきらめない戦いぶりを見ていると、技術では断然上の男子サッカーがふがいなく思えた。

女子ソフトは、前大会もそうだったけれど、エラーが負けにつながったので残念だ。 エラーした選手の気持ちを察すると、家で横になってテレビ観戦しているぼくの悔しさなんてたかが知れている。

女子マラソンは野口選手が堂々の金メダル。 ほとんど平坦なところが無いコースで、気温も 32℃というから、本当に過酷な条件である。 三重県伊勢市出身の彼女はあまり裕福な家庭に育っていない。 4人兄弟の 3番目で、上の二人同様、中学校を卒業したら働かせようと親は考えていたそうだ。 中学の校長先生と陸上部顧問の先生が「この子はオリンピックに出るかもしれない。 無理をしてでも、陸上の名門高校に進学させてあげてほしい」と彼女の親に頼みこんで高校進学が実現したという。 大昔の話じゃありませんよ。 ほんの 10年前のこと。。。校長先生と陸上の先生、今回の野口選手の金メダルは自分のことのように嬉しかっただろうなぁ。 こういう話を聞くと、ぼくなどはなんの苦労もせず、今までボウフラのごとくフワフワといい加減に生きてきたなと反省させられます。(いや、ホント)
優勝が予想されていた世界記録保持者のポーラ・ラドクリフが、36km地点であろうことか立ち止まる。 小さい頃から多くの困難を克服してきた不屈のラドクリフ。再び走り出そうとしたけれど、すぐにしゃがみこんで両膝に顔をうずめて泣き出してしまった。 彼女なら這ってでもゴールを目指すと信じていただけに、ぼくは少し当惑した。 「からだの故障ではなく、自分より前を走る選手がいるという、これまで経験したことが無い現実からくる精神的なものが原因だろう。 彼女にとってこれはいい経験になる」と実況解説していた有森裕子のクールなことばが、毀誉褒貶をくぐり抜けてきたひとのことばとして耳に残った。

勝つか負けるかの勝負の世界は、本当に厳しい。
まだまだ、アテネ・オリンピックは続く。

今週の土曜日の夜、岡部伊都子さんの特別番組が再放送されます。 必見ですぞ。

2004年8月23日



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「終戦」記念日

ぼくは「昭和の子供」だけれど、戦争は体験していない。 子供のころ親ついて天王寺へ買い物に出かけた時、駅周辺に白装束をまとった手や足の不自由な傷痍軍人が立っているのを恐々見ていた記憶がある。 その頃日本は岩戸景気に沸いていたはずだけれど、白い彼らだけが辛い戦争を引きずっているようにみえた。 あのひと達は今どうしているのだろうか。 終戦のときに20才であった人も、今年で79才である。

「終戦」という言葉に異議をとなえる人は多い。 戦争に負けたのだから本来は「敗戦」である。 だから 8月15日は「敗戦」記念日と言うべきだ、と彼らは声高に主張する。 そう言われてみると確かに「終戦」とはあいまいだし、負けた側にはちょっと都合よすぎる言葉である。 当事者であるのに他人事のようにも聞こえる。 たとえば、野球で試合に負けた投手は「敗戦」投手であり、決して「終戦」投手とは言わない。

しかし、「敗戦」という言葉には勝負にこだわった好戦的な響きもある。 平和への思いというより、次こそは勝ってみせるぞ、という決意が見え隠れしているようにも思える。 戦争の犠牲になられた方には申し訳ないけれど、結果として負けはしたけれど、何より戦争が終わったことをありがたく思っている人が多いという現状が「終戦」という言葉に収束したのだろう。

戦争を体験したひとから、自省の言葉を聞くことはまれだ。 戦争はいけないことだ、とは誰しも言う。 じぁ、なぜ戦争に参加したのかという話になれば、あの頃の教育がそうさせたと平然と答える。 教育が間違っていたから国民は戦争に突き進んだ、というのは事実だと思うし、それが間違っていると知りながらでも従わざるを得ない、戦争を体験していない者には決して理解できない極限状況であったのだろう。 しかし、戦争が終わってそれが間違いであったと気づいたのであれば、教育や社会状況の責任にせず、そのような教育にだまされ、社会状況にのみ込まれてしまった自分自身をまず反省するのが筋ではないかとぼくは思う。 できれば彼らにそれを公言してもらいたい。 戦争を体験された方のご苦労は、ぼくの想像をはるかに超えるものであるだろう。 しかし、自己の判断を回避して「お上」に何もかも頼るということは、逆に言えば、「お上」のいうことを聞いていれば自分で責任を取らなくてもよい、ということになる。 先週、高校野球のときにも述べた「甘い精神構造」が、ぼくたち日本人に巣食っているように思えてならない。 まず個人があり、その集合体としての国家なんだ。

戦争とは直接関係ないが、北朝鮮による拉致被害者の夫である元アメリカ兵について、桐島洋子氏が歯切れのよい発言(Today 7月22日付)をしている。 ぼくはこの発言のすべてには共感しないが、ここで話題に出したのは、あの桐島洋子ですら元アメリカ兵に向かって「男なら・・・自ら出頭して裁きを受けるべきだ」と語っていることだ。 じゃ、女なら裁きを受けなくてもいいのか、と言いたくなる。男でも女でも関係ないと思うが、「男らしく」あるいは「女らしく」というジェンダーを超えるのはなかなか難しいものである。

2004年8月16日



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高校野球が嫌いだ

全国高校野球選手権大会が始まった。今年が 86回目だから、戦前から行われていた歴史ある大会だ。 今のプロ野球で活躍している選手のほとんどはこの大会の出場者でもある。 だから、毎年この時期になるとマスコミが大きく報道し、日本全国高校野球一色の有り様となる。
しかし、ぼくは昔からどうも高校野球が好きになれない。 社会に出てからスポーツはほとんどしなくなったけれど、学生時代は運動クラブに入っていたし、スポーツはするのも見るのも好きだ。 からだは体育会系、頭は文科系というのが、いまだに一番カッコいいひとだと信じている。 そのスポーツ好きのぼくが、なぜ高校野球が嫌いなのか考えてみた。

(其の一)
選手が常に監督の顔色をうかがって、のびのびとスポーツをしていないように見える。 打席に入ると、一球ごとに監督やコーチを見て、自分が次にとるべき行動の指示を仰いでいる姿が哀れだ。 幼稚園じゃないのだから、自分の行動は自分で判断して欲しい。 はっきり言って、監督がでしゃばり過ぎるのだ。 ラグビーなどは一旦試合が始まると監督はグランド内には入れず、一般の観客と一緒にスタンドで試合を見るのが基本で、選手は自らが考えて臨機応変に試合を組み立てる。 高校野球にはそういう人間本来の自主性がない。

(其の二)
送りバントやスクイズが多く、その作戦のチマチマした精神が面白くない。 勝負ごとなので勝つことが絶対なのはわかるけれど、あまりにもそれにとらわれすぎて、将棋盤の上で駒をせわしなく動かす「はさみ将棋」を見ているような気になる。 要するに、開放的でダイナミックな展開が希薄だ。 5点差で勝っているのに監督の指示に従って送りバントしている選手の姿を見ると、いたたまれない気になる。 そんな人生でいいのか。

(其の三)
技術的なレベルがプロ野球より数段低い。 まぁ、これは言っても仕方が無い。

(其の四)
試合後のインタビューで、監督が選手のことを「子供たち」というのが、いかにも日本人の甘えた精神構造を露呈しているようでいやだ。 聞きたくない。 どうして「選手たち」と言わないのだろうか。 寮や監督の家で寝食を共にし、厳しい練習に耐えてきた間柄なのだから親子同然という意識からだろうけれど、そこには選手ひとり一人の人間としての個性の尊重はなく、みんないい子 供たちだ、と思いたいだけのひ弱な独りよがりが見え隠れする。
また高校 3年生にもなりながら、監督から子供扱いされて黙っている選手のほうもどうかしている。 お互いもたれあっているのだろう。 試合に勝つ目的で集まった人間同士(選手と監督)という意識を双方持つのが健全ではないだろうか。
サッカーの中田英寿が中学生のころ、練習試合に負けて激怒した監督が罰として選手にダッシュ 50本を命じたけれど、彼だけ従わなかった話は有名だ。 監督がなぜ従わないのかと中田に詰め寄ると、中田は「走る理由がわからない。 俺たちだけが、走らなければならないのは納得できない。 監督も一緒に走ってくれ。だったら俺も走る」と言ったそうだ。 監督は自分の愚かさをその時自省したと後に語っている。
随筆家の岡部伊都子は「子供」のことを「小さなひと」と呼んだりしているが、年齢に関係なくひとりの人格を持った人間として認めるべきではないだろうか。 いくら厳しい練習で身体や技術を鍛えても、精神は真のスポーツマンになり得ているのか、と思ったりする。

(其の五)
吹奏楽の応援がうるさい。朝から晩まで一日中試合をしているので、ラジオやテレビから流れるあの音楽が頭から離れない。 昔勤めていた設計事務所は仕事中ラジオをつけっぱなしにしていたので、春と夏のこの時期になると頭はパンパラパンの思考力ゼロ状態になり、本当に欝だった。 あの応援、もう少しなんとかならないものか。

(其の六)
マスコミが大きく報道しすぎる。 春・夏とも高校野球のスポンサーが新聞社なので仕方ないが、NHKまで全試合放送する必要はないだろ、と言いたい。 一律に受信料を取っておきながら、有無を言わせず普段の番組を休ませ、全国民の期待に答えましたと言わんばかりに高校野球を放送するとは何事だ。 受信料ちょっとだけ返せ~。

(其の七)
素直で力強く健康そうに日焼けした選手を見ていて、高校生らしくないと思ってしまう。 (これは多分にぼくの学生時代と比べての、単なるひがみ)
高校生って子供から大人への過渡期であるため、一般的に心と体のバランスが崩れ、反抗的で心が屈折し、情緒も不安定な年頃ではないかしら。 だから、あの高校野球の選手たちは大人たちが夢見る、自身ではなし得なかった幻の、理想の青春像でもあるのだろう。 彼らは別にそれに答えようと演じているわけではないけれど、大人たちがあまりにそれを称賛するため、ぼくは(ひがんで)違和感をおぼえるのだ。

ひねくれたことをいろいろ書いたけれど、そういうぼくでも、打球めがけてスライディング・キャッチする姿や、試合後負けたチームの選手が涙をふきながら甲子園の砂をか き集めている姿を見ると、やはり胸が熱くなる。 なんであれ、ひたむきな姿勢は美しく感動させられてしまう。

2004年8月9日



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頭を「坊主」にして「ヒゲ」をはやした

まぁ、坊主といっても 5分刈りよりは少し長め。 5月のゴールデンウィーク明けぐらいから 2~3週間の間に、髪の毛が急激に抜けた。 これはいかん、なんとか抜けた分の毛を何処かに増やさなければ、と思いヒゲをはやした。 小学校か中学校の算数の時間に学んだ三角形の内角の和は一定(180度)という定理よろしく、髪の毛の本数とヒゲ本数の和を一定にする、と意気込んでいる。

ヒゲは鼻の下とあごをつないで、口のまわりをはやすようにした。 欧米のロック・ミュージシャンはそのようなヒゲをカッコよく決めているが、ぼくの場合はさしずめ「カールおじさん」(カールというお菓子の CM に出てくる漫画のキャラクター)みたいになっている。


この前の祭りではこのヒゲの評判はすこぶる悪かったが、打たれ強い本人は、ヒゲをはやす前が良過ぎたんだ、と一向に気にしていない。
6月に入ると脱毛本数も減り、以後落ち着いている。 近親に禿げている人はいないのと、脱毛が急激だったこと、また円形脱毛しているところもいくつかあり、多分ストレスが起因だと勝手に判断している。 ただ、一度髪の毛が抜けてしまうと、その毛根は(生意気にも) 2~3ヶ月も休暇をとるらしく、それからでないと新しい髪の毛がはえてこないそうだ。

この貴重な経験をして初めて気づいたことは、日本では真上から照らす照明が多いということ。 夜、明々と天井照明をつけた電車に乗っていて、車窓に映る自分の頭を見ることほど気分を萎えさせることは無い。 すべてフットライトにすべし、と言いたいぐらいだ。 「禿げた主人のいる家」を設計する機会があれば、この経験は大いに生かしたい。

今まで無関心だった禿げているひとの気持ちがよくわかるようになった。 バーコードおじさんを見かけると、なけなしの髪の毛でなんとか禿を隠そうとするその涙ぐましい日々の努力に敬意を払いたくなるし、頭をピカピカにしているひとには、生きざまをさらけ出してカッコいいぜ、などとシンパシーを抱くのだ。
とはいえ、最近(ひいき目に)少し毛がはえてきたような気がするのが嬉しくもある。 ここで半端な髪型をするより、一層のこと短くしようと思い、いつもの美容院(散髪屋じゃないよ)で髪を切った。 外国のプロ・テニスプレイヤーやサッカー選手(あのベッカムも)のカッコいい坊主頭は、もちろんチェック済み。 さて髪を切り終わり、前にある女性週刊誌に目を向けると、表紙はなんと、頭を丸坊主にしたブラッド・ピット。 思わず、こいつぼくと似てないか?、と美容師に言おうとした時、なんかカウス・ボタン(漫才師)の中田カウスみたいになりましたね、と先を越されてしまった。

まぁ、なんでもよい。 生きていくのに支障無し。 ただ、確かに以前より人相が悪くなったような気がする。 なにか事件を起こして新聞に顔写真が載ると、この人ならさもありなん、と思われそうな顔だ。 しばらくの間、おとなしくしていた方がいい。 それがまた髪の育成にもよいかもしれない、などと思っている今日この頃である。
2004年8月2日



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昨年の自殺者は約35,000人だ

警察庁の発表を受けて各マスコミも大きく報道したので、知っている方も多いと思う。 6年連続して 3万人を超えたらしい。 たとえば、ここ数年の死亡者数は年間 100万人程度なので、29人に1人が自殺していることになる。 学校のクラスだと 1.3人になる。また自殺は、25~39歳では死因の 1位、40~54歳では癌に次いで 2位だそうだ。 癌や心臓・脳血管疾患ばかりが死因としの話題となるが、働き盛りの年代では実は自殺が多いことがわかる。

昨年の特徴は、負債や生活苦などの「経済・生活問題」が動機と見られる自殺が大幅に増えたことだ。 事業主が借金返済のために、自身の保険金目当てで自殺したという話はよく聞く。 ぼくの知る範囲でも、ここ 3年で数人そのような自殺をしている。 決して褒められるべき責任感ではないが、あまりにも悲しすぎる。 電車に飛び込む人も多く、人身事故によるダイヤの乱れがよくある。 昨年の秋、ぼくが利用する JRの路線でもひと月に 3回あった。 驚くより呆れてしまう。 ホームで電車を待つ人も、またか、という表情。 今年の1月には、とうとうぼくが乗っていた電車に人が飛び込むありさま。 一体全体世の中どうなってしまったのか。

日本は平和でいい国だ、などとへらへら笑っている奴を見ると無性に腹が立つ。 しかし視点を変えれば、ルイ・ヴィトンやエルメスなど高級ブランド店に群がる人々がいるのも現実だ。 休日のデパートは満員で、手に抱えきれないほど買い物をしている御婦人もいる。 この前、東京の都心で売り出された億ションは即日完売。 30代の買い手もけっこういたらしい。 生活苦で自殺、かたや億ション即日完売。 これはまさしく二極化である。

ついこの間まで、日本人みな中流意識と揶揄されていたのが、ここ 3~4年で大きく変わってしまった。 社員や下請け会社を切り捨てて合理化を進めた冷血経営者が英雄視される時代だ。 人よりも会社を救うことが何より優先される。 負けた者はおとなしく去るしかないのだろうか。 公的資金(税金)の援助で倒産を免れた銀行に融資を断られて倒産した会社もある。 いやな時代になったものだ。

サラリーマンの友人の話では、いつも「誰か(何か)」と競争しているみたいで勝った負けたと一喜一憂の毎日。 「誰か(何か)」が誰(何)なのか誰にもわからない。 きっとぼくたちは何かの罠にはまっているのだろう。 護送船団でみんな一緒が必ずしも良いとは思わないけれど、今のこの状況も決して良いとは言えない。 この国に誇りを持てと言われても、35,000人もの自殺者を出す国に誇りなんか持てるわけがない。 なにかが狂ってる。
ところで、勝ち組って一体何に勝ったんだ?

2004年7月26日



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地域の祭りがあった

となりの町と日を合わせてするので、地域一体が祭りになる。 ただ祭りといっても、「だんじり」(祭礼の地車・山車/だし、のことを関西ではそう呼ぶ)や「布団太鼓」が日に 2~3回町を練り歩き、国道や駅前に集まって練(ねり)をする程度で、ほか特に華やかな催しはない。

ぼくの住んでいる地域は、他の町から転居して来たひとがほとんどで、氏神神社もなく、祭り自体に歴史がない。 「だんじり」は 7~8年前に購入した小さな子供用だ。それ以前はもっと粗末な「だんじり」だった。 祭りの趣旨は、子供たちに楽しんでもらうことであり、また地域の懇親及び活性化である。 ぼくも参加している 4~50代中心の祭り保存会と昨年できたばかりの青年団(といっても中高生)が中心になって運営している。 まだまだ試行錯誤の小さい祭りである。

一方となりの町は古くて氏神神社もあり、昔の農家の方たちが豊饒と無病息災を願って祭りを催していたのが今に至っている。 「だんじり」も太い木で組み立てられており、彫刻も細部に至るまで施され、いかにも歴史を感じさせる重厚な「だんじり」だ。 太鼓もドンドンと腹まで響く迫力がある。 運営も昔から続く20代の青年団が中心で、実に威勢がいい。

ぼくは幼稚園から中学校までとなりの町の学校に通っており、当時ぼくの町に祭りがなかったので、となりの町の大きな「だんじり」を曳(ひ)かせてもらっていた。 自分の力で「だんじり」を動かしているとでも子供心に思っていたのだろうか、手のひらが真っ赤になるまで綱を強く握り締めていたものだ。 今の子供たちを見ていても同じで、みな一生懸命、嬉々として「だんじり」の綱を引っ張っている。 無邪気なものである。
炎天下、綱を引っ張りながら町を練り歩く。 ただそれだけの単純極まりない行為なのだけれど、子供たちにとっては年に一度の「ハレ」舞台なのかもしれない。 太鼓の音が近づくと、家の中にいたひとが沿道に出て拍手してくれる。 それが嬉しいのだろう。 みんなと声をそろえて綱を引っ張ることで「だんじり」が動く。 それがまた嬉しいのであろう。 休憩時間にジュースやおやつ、おみやげがもらえたりする。 またまた嬉しいのだ。 それを見ているおとなのひとも、みないい顔をして目を細めている。

やれリストラだ、倒産だ、負け組だ、などとひとはみないろんな問題を抱えている。 祭りというものは昔から市井に生きる庶民のそういうつらい日常からの解放でもあるわけだ。 普段めったに顔を会わさない老若男女が一堂に会し、みんなで大声出して力いっぱい綱を引くという、この人間として実に原初的な行為が、どれほどぼくの日常に刺激を与えてくれているか計り知れない。

2004年7月19日



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参議院選挙が終わった

マスコミは自民党が大きく敗北したかのように報道しているが、冷静に議席数を見ると、改選前よりたった 1議席減っただけだ。 民主党は大躍進で、議席数を12も増やした。その分共産党が減ったことになる。 日本もいよいよ二大政党時代になりつつあるのか。
小さな政党が乱立していた頃が遠い昔のように思われる。 サラリーマン新党とか日本新党、新党さきがけ等々、まさにあの頃は新党ブームだった。 でも、所詮政治は「数の論理」がものをいう世界。 4~5人程度の小さい政党が政策を提案しても、国会の承認を得るのは至難のことである。 いきおい大同団結になってしまうのは致し方ないのだろう。

今回、大阪選挙区は執行猶予中の辻元清美さんが立候補していたので、マスコミからも注目されていた。 結果は、落選。 彼女はぼくと同世代だけれど、確かに20代の頃から突出して目立っていた。 ピースボートの企画運営や、夏目漱石・宮沢賢治等の全集を「ザ・漱石」「ザ・賢治」と名付けてザラ紙の分厚い一冊の本にして安く売るなどして名を馳せていた。 当然、これらには批判や誹謗中傷もあったのだけれど。。。

ぼくたちの世代は、いわゆる「団塊の世代」の次の世代であり「シラケ世代」と言われていた。 団塊の世代が夏木陽介主演の TV ドラマ「青春とは何だ」に象徴される、熱く燃える青春の世代であるのに比べ、ぼくたちは萩原健一(ショーケン)の「傷だらけの天使」のようにシラケたやり場のない閉塞感をもつ世代であった。 大学生になった時には既に学生運動も収束しており、合コンでイルカの「なごり雪」をみんなで歌っていたような、軟弱さが優しさとほぼ同義だと思えた時代でもあった。

だからなのか、あまり良いことではないけれど、ぼくは政治には少し距離をおいて今に至っている。 右か左か、ではなく、右になったり左になったり、すこぶるいい加減なのだ。 今回の選挙でも、年金やイラク問題等 22項目についての各候補者の見解が新聞に載っていたので、自分なりに○とか×をつけてみたけれど、ピッタリ合う候補者はいなかった。 まぁ、このひとは悪いことせんやろとか、この政党はもう少し報われたっていいよな、ぐらいの気持ちでいつも投票している。 だから、ある政党を端から毛嫌いしたり、逆に盲信したりしている人をみると、すこし引いてしまう。 あの 22項目がピッタリ一致しているのかな、と疑いたくもなる。 また、タレント議員に対してボロクソに言うひともたまに見かけるが、職業に貴賎はないはずなのに、どうして色眼鏡でタレントを見てしまうのだろうか。 それもこれも、小泉さんじゃないけれど「ひとそれぞれ」っていうことなのか。。。

2004年7月12日



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「音楽」と「建築」

音楽と建築どちらが好きか問われれば、ぼくは迷わず音楽と答えるだろう。 毎朝、出勤前の30分間は音楽をガンガン聴かないと気分が乗らない。 ロックを大音量で聴くため、多分近所のひとや家の前を通るひとからひんしゅくを買っているに違いない。 高校生のころからの習慣で、かれこれ 30年以上同じことを繰り返している。
30年といえば、毎朝母親におんぶされながらぼくの家の前を通っていた赤ちゃんが成長し、その子が赤ちゃんを生んで、その赤ちゃんをおんぶしながらぼくの家の前で自分が赤ちゃんだった時と同じ曲を聴いているかもしれない。 まぁ、正確には「聴いている」のではなく「聞かされている」ことになるのだろうけれど。。。

そういうぼくも、事務所に音響機器はおいていない。 一時期ラジオがあったのだけれど、音楽ばかり聴いて仕事がサッパリはかどらなかったので、家に持って帰ってしまった。 パソコンにスピーカーをつけていないので、事務所に音の出るものは一切ない。 外からひとの話し声や車等の騒音が入るため、まったく無音ではないけれどいたって静かだ。 そしてぼくはこの静寂も結構気に入っている。
しかし、仕事が終わって家に帰れば、また寝るまで音楽。 テレビなんか観ている暇はない。 音楽に始まり音楽で終わる、これがぼくの終わりなき日常ということになる。

そういう音楽の魅力っていったいなんだろう。 歌ったり演奏するのは苦手でも、音楽が嫌いというひとなどいないのではないかしら。 普段音楽を好んで聴かない人でも、気分のいいとき、あるいは悲しい時にふと口ずさむ歌があるはずだ。 音楽の偉大さにぼくは敬服してしまう。 今読んでいる「フォークソングのアメリカ」という本で著者のウェルズ恵子さんは次のように述べている。
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人々は、いつも何かを歌いながら生きている。 歌は、人々が気づいてさえいない欲望や感情を表現し、慰め、訴え、巧妙にごまかしながらも、それがどんな欲望でどんな感情であってもけっしてないがしろにしない。 そうして、彼ら彼女らが、時代と社会に沿ったりあらがったりしながら、なんとか幸せに生きていくよう力を与えてくれる。
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ゲーテは建築のことを「凍れる音楽」と言ったけれど、驚きや感動は与えられても、音楽のようにひとが一人の人間として生きていくことに寄り添うことが出来るのだろうか。 「衣・食・住」と言われるように必要不可欠なものではあるけれど、それ以上の、形而上的な何かを日々の暮らしに与えたることが出来るのであろうか。 そういう意味でも、ぼくたち建築家は建築というものを謙虚に受け止めて仕事をしなければならないと思う。

2004年7月5日



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ホームレス

ぼくの事務所がある天王寺公園界隈には、ホームレスのひとがたくさんいる。 先般厚生労働省が発表した「ホームレスの実態に関する全国調査報告書」によれば、全国にホームレスのひとは24,090人(平成13年9月時点)。 都市別では大阪市(人口265万人)が8,600人で最も多く、2位東京23区(840万人)の5,600人、3位名古屋市(220万人)の1,318人を大きく引き離しており、人口比でみるとその多さがより際立つ。 大阪市でもここ天王寺公園界隈が一番多いと思われるので、ぼくの事務所は日本一ホームレスのひとが多い地域にあることになる。

ぼくは幼い頃から天王寺という地域になじんでおり、高校の通学路としても日々接していたので、このような環境にあまり違和感を覚えない。
夕方6時頃、商店がシャッターを閉めると、ホームレスのひとたちはその店の前にダンボールを敷いて寝場所を確保する。 中にはそれを嫌う店のひともいて、シャッターを閉める時に店先に水をまいてダンボールを敷けなくする。 ぼくがその商店街を通って帰途に着く夜10時過ぎには、ホームレスのひとたちは、気持ちよく寝ていたり、お気に入りの歌を口ずさんでラジオを聴いていたり、あるいは街灯の下で読書していたりする。 ひとそれぞれだ。
ぼくはこの道を通りながら、世の中すべてのひとに等しく今日一日が終わるのを実感する。 時は絶対的に平等だ。 冬の寒い日などは心が痛む。 ぼくは家に帰れば温かいお風呂に入ることができるけれど、この人たちはここで厳しい夜を越さなければならないわけだ。 どうしてそこまでして夜を越さなきゃならないんだ?、、という思いもよぎるが、深く考えないことにしてぼくは家路を急ぐ。

homeless は home(家庭や帰る家)が無いということで、house(家)が無いより状況はみじめだ。 以前何かのアンケートで、ホームレスのひとが一番辛いこととして、喜びや悲しみを分ち合うひとがいないことだと言っていた。 それがまさしく home が無いということなのだろう。
ぼくの好きな Bob Dylan に Simple Twist of Fate という歌があって「運命のひとひねり」と上手く訳されているが、このホームレスのひとたちを日々見ていると、ある時のちっとした「運命のひとひねり」がこのひとたちをホームレスにさせてしまったのかもしれないと思ったりする。 彼らのことを指さして笑ったり、忌み嫌ったりしているひとだって、もしかしたら、不意にやってくる「運命のひとひねり」で明日は逆の立場になっているかもしれない。
移民の国アメリカでは、ホームレスのことをたまに homeless brother といって「兄弟」と呼ぶけれど、キリスト教の「人類みな兄弟」という教えに倣う人間愛に満ちたいい言葉だと思う。 集団から外れたひとには冷たい日本ではなかなかこの意識は根付かないだろう。

さて次の朝、ぼくが出勤する 9時前には、商店のひとたちは「ほうき」で店先をせわしなく掃いている。 昨夜ホームレスのひとが寝ていた形跡はない。 一方公園のほうに目をやれば、入り口付近の広場に人がたむろしているのが見える。 夜明け前にダンボールや空き缶を集めに回り、既にひと仕事を終えたホームレスが町のひとたちに混じって将棋に興じているんだ。 このようにしてまた、世の中のすべてのひとに等しく今日一日が始まるのである。

2004年6月28日



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小さな部屋

ぼくはテレビをほとんど観ない。 その代わり新聞をよく読む。 昔から朝日新聞を購読しているが、特に理由はない。たまに読売や産経を読むと、論調の違いを感じる。 本当はいろんな新聞を読んだ方が良いと思うが、朝日の記事の組立てや文字に慣れてしまって、他紙が読みづらくなってしまった。 また毎日のことなので、コラムや特集記事に愛着もある。
さて、朝日の朝刊に、女性が短い随筆を投稿するコラム「ひととき」というのがある。 なぜかぼくは、それを読むのが日課となっている。 先日(6月19日)、神戸市に住む 57歳の女性の投稿が掲載されていた。 面白かったので転載する。
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小さな部屋

散歩の途中、入り組んだ路地の中に小さな部屋を見つけた。 一坪ほどの大きさで、三方が壁、一方が硝子の引戸で出入り口になっている。 中をのぞくと、幅いっぱいの机、三方の壁には奥行きの狭い棚が作りつけられている。
机に近い棚には、こまごました工具やクギなどが瓶に収まっている。 下方の棚には歴史雑誌が、変色したものから新しいものまで並んでいる。
震災の後、神戸には薄っぺらな建物が多くなったように感じる。 この部屋のある家は、昔ながらの木造長屋だ。平屋であることが、あの激震に耐えた大きな理由だろう。
後日その部屋を見るため、犬を連れて散歩にいった。 すると、部屋の隣の玄関から、70代半ばのほっそりした男性がでてきた。 「いいお部屋ですね」と声をかけると、「いやー、仕事場ですよ」と。 たばこを吸いながらスタスタと駅のほうに向かっていった。
私は自分の部屋を持たない。 台所のテーブルで大体の私用はすませる。 台所は、玄関から家族が各自の部屋へ行く途中にあるので、テーブルは、どうしても物を置いておく場所になる。
連れ合いが退職する時には、家中あちこち傷んだところに手を入れるつもりだ。 その時、一坪、いや半坪でもいい、私だけが自由に使える場所を台所の片隅に持てればいいな、と思っている。

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この女性は日ごろから家に興味があったのだろう。 散歩の途中で見つけた「小さな部屋」の魅力は、それを知らないぼくにも充分伝わってくる。
たとえば、この「小さな部屋」がある木造長屋。
住み古された外壁のモルタルは色褪せ、ところどころが朽ちかけており、屋根瓦にも色ムラが出ている。 しかし全体を眺めると、くすんではいるがどこか深みがあり瀟洒(しょうしゃ)な趣すら感じさせる。 また平屋なので視覚的にも安定感があり、路地沿いに並べられた植木鉢に咲く花が色取りを添えている様子が想像できる。
たとえば、方丈記さながらの一坪(たたみ 2枚分)ほどの「小さな部屋」。
体裁よく片付けられており、座っていながら欲しいものに手が届き、すこぶる快適である。 疲れたときはそのまま横になれる大きさでもある。 三方の壁にしつらえた棚には大好きな本がぎっしりと並んでおり、好きなものに囲まれている時の至福を感じる。
等々、実に魅力的だ。

この女性は、震災後の神戸の建物が薄っぺらになった、となかなかの目利きだ。 その彼女は、いまの台所のテーブルを自分の居場所とすることに、少し不満を持つ。 でも、ぼくにはそのテーブルが、なかなか魅力的に思えたりする。 家族が各自の部屋へ行く途中にある、という位置も絶妙だ。 しかし、この女性は半坪でもいいから、自由に使える自分の部屋が欲しいのだ。 みんなから離れた静かな場所ではなく、今のこの台所の片隅に。。。

2004年6月21日



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近鉄バファローズがオリックスと合併

以前この欄で、命名権を譲渡するなら経営権を譲渡したらどうか、とおかしな提案をしたが、現実はもっと過激な展開になりそうな気配である。 毎年 40億円の赤字を出している近鉄球団は経営を続ける気がまったくなく、球団名や本拠地もオリックスにお任せらしい。 合併というが、実質はオリックスが近鉄を吸収する形だ。 いやはや、近鉄ファンいとっては最悪の事態だ。

オリックスも本拠地は神戸にこだわっておらず、より観客数が見込める大阪になると推測されている。 これでは神戸のオリックスファンもかわいそうだ。 球団名はオリックス・バファローズが有力視されているらしい。 ただ、オリックスは阪急から球団を買収した際、当初は阪急ファンに気を使ってブレーブスと名のっていたけれど、2年後にブルーウェーブに改名した経緯があるので、バファローズも同じ運命になると予想される。 近鉄バファローズのファンは一体どうすればいいのやら。 事実は小説より奇なり、というけれど、ここまでは予想できなかった。 残念とか悲しいとかより、あっけにとられた感じ。 人生いろいろありますね~ホント。

今から15年前、南海ホークスがダイエーに、阪急ブレーブスがオリックスに買収された時は対岸の火事と思っていたけれど、こちらに火が移ってしまった。 大阪の電鉄会社はセ・リーグの阪神を除いて全滅。 プロ野球もサッカーみたいに一企業に頼らず、地域で育てるようにしないとだめだと思う。 ダイエーは福岡を本拠地にして成功している。 近鉄ももう少し違うやり方があったのではないかと思う。 残念だ。 それにしても、近鉄の社長の言葉には、事業主とファンの球団への思い入れの熱量の差をまざまざと見せつけられた気がした。

「回復の見込みのない事業に経営資源を投入するのは無理」

営利企業として当たり前のことを言っているに過ぎないのだけれど、ファンには悲しすぎる言葉である。 「回復の見込みのない」って、チームを強くするために本気で取り組んでくれたのか?、、 企業にとっては単なる「事業」かもしれないけれど、ファンにとっては、喜びや悔しさを共にした「友」であり、かけがえのない「夢」でもあるんだ。 ファンのありがたみがわからないのか!
「経営資源を投入するのは無理」だなんて、、頼むから、もうちょっとだけお金を投入してちょうだい(笑)
ダメだ。 仕方ない。 他人に夢を託すとこうなってしまう。 こうなれば、今年優勝して有終の美を飾って欲しいものだ。

頑張れ♪   近鉄バファローズ (涙)

2004年6月14日



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「建築士」と「建築家」

書店に行くと、建築を特集した雑誌をよく見かける。 土建業界(建築のひとはこの呼び方を嫌う傾向がある)は構造的な不況だけれど、建築のデザインや創意工夫に人々の関心が向いている。 それに伴って少しずつではあるけれど、「建築家」という職業が社会に認知されてきたように思う。 嬉しい限りだ。 そもそも建築を設計するひとは国家試験を経て「建築士」という資格を得る。 税理士や土地家屋調査士、弁護士などと同じ専門性を持つ資格職業だ。 ちなみに一級「建築士」は全国に31万人もいる。

「建築家」ではなく「建築士」で呼び名を統一すればいいじゃないか、と思われるかもしれないが、わたしは町場の「建築士」とは違うのだ、と思うひとがいる限りなかなかそうはいかない。 なにが違うかは問わない方がよい。 答えられる人はほとんどいないし、答えられても所詮屁理屈でしかないだろう。 設計した建築で違いをハッキリさせれば誰もが納得するに違いないけれど、「建築家」というひとも結構「くだらない建築」を設計しているし、違反建築するひともいる。

おかしな話だけれど、建築そのもので「建築士」と「建築家」を区別することは不可能である。 こうなれば、場外で決着をつけるしかない。 「写真家」の荒木経惟は、頼まれて撮るのは「カメラマン」で頼まれもしないのに撮りに行くのが「写真家」だ、と言っているけれど、それに倣えば、頼まれて設計するのが「建築士」で、頼まれもしないのに設計するのが「建築家」ということになる。 一理ある、というか、的を射ているように思う。
しかし、写真と違って建築の設計には莫大な時間がかかるため、「建築家」をまっとうするには、霞を食って生きる修行が必要になる。

以前ある「建築家」が、思想や哲学を持って設計するひとのことを「建築家」と呼ぶんだ、と言ってひんしゅくを買ったことがある。 その人は千利休や世阿弥の「風姿花伝」からの受け売りばかりしている人なので、その言葉に説得力はない。 それに、思想や哲学を持って設計したからといって「良い建築」ができるとは限らないだろう。 その時々の条件に柔軟に対応しなければ建築は建たないからだ。 またある人にとって良いことであっても、別の人にとっては良くないことは世の常であるから、そもそも「良い建築」なんて定義しようがない。 結局は、なにがなんだかわからい。 要は、「建築士」でも「建築家」でも、呼称はどうでもいいことなのだ。 世間の人たちはそう思っている。

早い話、「建築士」が「建築家」になりたければ「建築家」と自称すればよい。 「漫画家」だと言えば詐称になるけれど、「建築家」だと言っても詐称で訴えられることはないのだから。 それでは「建築家」と名乗っているだけで「建築家」になったことにはならない、などと理屈をつけ始めると話がまた元に戻るので、無視。 情けないけれど、「建築家」と自称すると、なにか少し偉くなったような気がして、毎日遅くまで報われない残業している身に気力が沸いたりするもんだから。。。というのが本音か。
というわけで、「建築家」だと自称しているひとを見かけても、みなさん、大目に見てあげて下さいね(笑)

2004年6月7日



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皇太子の発言

皇太子の欧州歴訪前の記者会見での発言は大きな波紋を広げたけれど、未だに皇太子から具体的な説明はない。 ここでまず、ぼくの天皇や皇室に対する考えを明らかにしておかなければならない。 いわゆる象徴としての天皇及び天皇制があっても良い、と考えている。 無くてはならないとは思わないし、無くさなければいけないとも思わない。 いたって中途半端。 人々を不幸にしない限り、世の中多少理不尽なことや無駄があってもよい、いやあったほうが面白いと考えている。(なにも、天皇制が理不尽で無駄なことだと思っているわけではないけれど。/どっちやねんw)   皇室に関しても、特に関心はない。 イギリスなどヨーロッパの王室スキャンダルに目がないひとを、ぼくはいつも冷ややかにみている。 ただ以前から、皇太子夫妻には人間としての興味があった。 発端は、皇太子が恋焦がれた憧れの雅子さんと結婚が決まった翌年の歌会始に詠んだ歌が、あまりにも純粋で率直だったからだ。

大空に舞い立つ鶴の郡眺む 幼な日よりのわが夢かなふ

これは、雅子さんと結婚が決まった喜びを詠ったものではないかもしれないが、ぼくは勝手にそう思っている。
さて、今回の問題発言だが、当日帰宅してからその会見をインターネットで見た。

「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

悩めるひとりの人間が、思い切って内輪のことを暴露したような内容に、驚いた。 一般的にこのような会見での発言は、事前に宮内庁が文案を作成したり、あるいは皇太子自身が考えていたとしても、必ず誰かがそれを事前チェックするものだと思っていた。 しかし、皇族であれ(政治家や芸能人であれ)ぼくたちが聞きたいのはそのひと自身の言葉なのだ。
報じられるところによると、雅子さんは国際親善が自分の大切な役目と思いながらもなかなか外国訪問ができないことや、皇位継承問題に苦しめられていたという。 (ぼくなどは、10年間で 5回も外国を訪問してりゃ上出来じゃないか、と思ってしまうが、そこはまぁいろいろあるのだろう。 えっ? ぼくのことは関係ない? すみませんw)
子供がなかなかできなかったときのプレッシャー、やっと授かった子供が女であることからくる皇位継承問題と、第ニ子へのプレッシャー、そして自身の年齢。 本当に大変だ。 皇位継承問題については、速やかに皇室典範を改正すべきじゃないだろうか。 第一章、第一条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあるが、別に女系でも女子でもいいじゃないか、というのがわたしの考えだ。 神様とされてきた天皇が戦後人間になったというが、実はなかなか普通の人間にはなれないのだ。

2004年5月28日



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北朝鮮による日本人拉致問題

先週 22日に小泉首相が北朝鮮を再訪問したけれど、北朝鮮による日本人拉致問題に新たな展開を期待するのは難しい。 拉致されたとみられる安否不明者 10人については、打開策が遠のいた感もある。 しかし、すでに帰国していた拉致被害者のうち夫婦二組にとっては子供と生活を共にすることが出来るようになり、もう一人の女性についても少し前進といったところか。
この女性の夫は米国の脱走兵とされており、米国が身柄の引き渡しを要求する可能性もあることから来日を拒否し、二人の娘もそれに従ったという。 日本政府としては、中国等の第三国で家族が面会できる機会を設けるように北朝鮮にはたらきかけるそうだ。 これについてある国会議員は、北京だと北朝鮮と鉄道でつながっているので、女性が家族のいる北朝鮮に帰ってしまいかねない、と懸念を表明したという。 それでも良いじゃないか、とぼくは思う。 その議員は自分たちの「手柄」のことを考えているのかもしれない。

今回日本に来た 5人の子供たちは、来日(帰国?)をどう思っているのだろうか。 今の時点でわかっているのは、拒否したけれど日本に行くよう命令された、というひとりの娘の発言だけだ。 他の 4人も同じだろうか。 彼女が日本行きを拒否したのは、自分が生まれ育った北朝鮮、あるいはそこで育まれた人間関係を引き裂かれてしまう思いがあったのだろう。 仕方が無い、といえばそうなのだけれど、子供に罪はない。
本来、両国政府が先ずなすべきことは、拉致被害者及びその家族を日本に帰すことではなく、彼らが自由に往き来できる環境を整えることではなかっただろうか。 民間レベルでの貿易や交流は、意外にも昔から結構活発に行われているようだ。 お互い国家というものを前面に出してしまうと、実利的なことより、どうしてもメンツとか政治的思惑が優先されてしまい、「人間」が見えてこないのだ。

国家に翻弄されるのはもうたくさんだ!

これが拉致被害者及びその家族の正直な思いではないだろうか。

2004年5月24日



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こんなにされてもイラクが嫌いになれない

ちょっとひと休みのつもりで木陰に腰をおろすと、それが心地よく、知らぬ間に時が経ってしまっていた、ということはよくある。 先を行かなければならないのだけれど、腰を上げるのに思いのほかエネルギーが、そして何より気力が必要だ。 まして、一歩前に踏み出すとなると余程の決心が必要になる。 歩いていればどうってことの無い一歩なんだけれど。。。
くどくどと何を言いたいのかというと、このホームページの更新をご無沙汰してしまった、ということ。(笑)   今月初めからページのデザインや構成を新しくしようと重い腰を上げた。 それが先週やっと終わり、これからまた少しずつ文章を書いていこうかと思う。 この「徒然」の更新は 2月 14日が最後だったので 3ヶ月以上休んでいたことになる。 当然、その間も世の中は動いており、イラクで日本人が拉致されたり、年金キャンペーンに駆り出されたタレントに端を発し、総理大臣にまで至った年金未納問題、皇太子の会見での異例発言等々。 また、この 22日に総理大臣が北朝鮮に再訪するという。 すべてのことが少しずつでもよい方向に向かっていればいいのだけれど。 ここでは、イラクでボランティア活動していて拉致された女性の
「こんなにされてもイラクが嫌いになれないんです」
という発言を少し考えてみたい。

彼女の生い立ちが興味本位でマスコミで報道され、国の勧告を無視した結果なんだから自己責任だとか救助等に税金使うな等の狭量極まりない批判が国内で渦巻いていたことを、まだ彼女が知らなかった時の発言であったにせよ、利他的な活動をするひとによくある博愛精神がよく表れている言葉だと思った。 彼女は「人」とその人の「行為」を区別し、「人」についてはとことん信じることの出来る無垢な人なんだと思う。 「人」を信じるということは、人が人として生きていく上での大前提ではあるけれど、どのような局面でもそうできるかと問われれば、甚だ難しいのが現実だ。 信じたくても立場上できないこともあるだろう。 人としての生き方を前にすると、社会的立場なんてたかが知れたものと思いたいけれど、innocent を「バカ」と訳すような社会で、innocent (無垢) に生きることはなかなか難しいのだ。 だからこそ、やられたらやり返せ、という論理がはばを利かせるこの世の中で、彼女のあの発言が意味を持ち、世界中の人々の心に届けばいいと思ったりする。

あまりにもロマンチックで世間知らずだと非難する向きもあろう。 けれど、根っから悪い「人」が本当にいると断言できるであろうか。 ある行為には必ずそれに至る原因や経緯があり、「人」はそれに影響を受けて「行為」に及ぶ訳だけれど、その「人」と「行為」の関係は固有のものではなく、例えば「別の人」であっても不思議ではないだろう。 もしあなたが、絶対的な悪人もいると断言できるのであるなら、多分そう断言できるようになった原因と経緯があり、あなたの心にその悪人が潜んでいるのかもしれない。

2004年5月20日



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近鉄バファローズ

わたしは近鉄バファローズのファンだ、と言うのが恥ずかしくなってきた。 昨年の中村選手大リーグ移籍問題の時も世間から冷たい目で見られたが、今回の球団名売却問題のドタバタは一体何だったんだ。
先月末、球団を所有する近畿日本鉄道株式会社が、'05年シーズン以降に現在の球団名「近鉄バファローズ」の「近鉄」の代わりに他の会社名やブランド名をつけることができるという「命名権」を売り出す、と発表した。 しかし球団名を変更するにはプロ野球実行委員会と 12球団のオーナー会議で 4分の 3以上の賛成が必要であり、コミッショナーから現状では難しいと言われると、それをすぐに白紙撤回してしまったのである。

わたしは球団経営のことやプロ野球界のシステムについてよく知らないが、ただファンを無視した今回の近鉄の行動に憤りを覚える。 「名前」とは記号と同じで、単に他と区別するために便宜上用いられる言葉ではあるけれど、命名された時点からその「名前」に対しひとそれぞれの思いが付加され、あたかも人格を有する「存在」になるような気がするのだ。 だから「命名権」を売るなどと聞けば、実態は残るにせよ、その「存在」を否定されたように思ってしまう。

私は昔から近鉄バファローズのファンであるけれど、なぜファンになったのか記憶は定かでない。 地元の身近な球団であり、そのことから特定の選手や監督に惹かれたのだと思うが、決して「近鉄」や「バファローズ」という名前が好きでファンになったのではない。 それなのに今回球団名から「近鉄」を外す、と聞かされただけで心穏やかでないのはどうしたことだろうか。 長年苦楽を共にした(少し大袈裟)ファンとしての歴史(すごく大袈裟)の中で、過去の試合の名場面や、ジャイアンツと違ってアカ抜けしない選手たちの顔やプレーが、庶民的な大阪という土地柄と混然一体になって、近鉄バファローズという名前とともにぼくの心に擦り込まれてしまっているのだろう。 だから、もしルイ・ヴィトンやフェラーリなどといった洒落た名前になってしまったら、後ろの「バファローズ」という部分が残ったとしても、これまでの「近鉄バファローズ」という存在が完全に葬り去られてしまうように思えて悲しいのだ。 経営の苦しい近畿日本鉄道が球団を所有する必要はないと思うので、「命名権」ではなく「経営権」を売りに出し、「近鉄バファローズ」という名前はそのまま残してもらいたい、というのが一ファンとしてのわたしのヘンテコな意見なのである。

2004年2月14日



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学歴

先月の後半、ある国会議員の学歴詐称問題がマスコミを賑わした。 多くのひとたちが関心を寄せる話題であったのだろう。 何であれ、嘘をつくことはあまり良いとは言えないが、例えば政治公約はつい大風呂敷を広げてしまう傾向があり、結果的に騙されたことになる場合が多く、われわれ国民もそのことに慣らされてしまい、政治公約とはそんなもんだと思っている。 しかし、こと学歴に関しては正直に公表されていることが多いため、今回このような騒ぎになったのだろう。

国会議員に限らないけれど、一般的に学歴を正直に公表することがそのひとにとって有利にはたらく場合と、そうでない場合がある。 後者のひとは、多分公表するのは嫌というか、気が進まないであろうことは想像できる。 一層のこと嘘をついてしまえ、と思って実行したのがあの議員だ。
有利とか不利というのは、世間(この場合「社会」ではなく「世間」という方がピッタリ)の自分に対する評価についてのことだ。 そういう意味で、あの議員が嘘をついたのは、自分自身ではなく世間が学歴を気にするからではないのか。
では、なぜ世間は学歴を気にするのだろうか。 それは多分、人物を評価するための考察が非常に煩わしくて難しく、それに自信が持てないため、安易とは知りながらも学歴に頼ってしまうからだろう。 だから世間のひとりひとり、わたしたちが賢くなり、周りの意見に惑わされず、充分時間をかけて人物を評価するようにならない限り、こういう問題は根本的に解決しない。

さて、このホームページの「about me」にわたしを紹介しているが、学歴は書いていない。 少なくとも義務教育は修めているので、学歴が無いわけではない。 わたしが設計した建築やこれらの雑文から、あるいは実際に会って話をした上でわたしを評価して下されば、それがあなたにとってのわたしであり、多分わたしという人間はそれ以上でも以下でもないと信じ、わたしに対するあなたの評価を(甘んじて? 笑)受け入れる所存です。

2004年2月7日



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ホームページを公開して、はやひと月が過ぎた

昨年末はこのホームページを作るべく悪戦苦闘した分仕事が疎かになり、そのしわ寄せが正月明けにどっと押し寄せ、本や新聞もろくに読まずバタバタ過ごしていた。 そのわりに、とんと成果が上がっていないのが欝である。 親類の結婚式で写真撮影を任されたのに出来がすこぶる悪かったのを皮切りに、買ったばかりの通勤定期は無くすし、残業の帰りに乗った電車に人が飛び込むし、私が設計した家に泥棒が入るし、ここ1週間ほど風邪でしんどいし・・・という有様。 こんな 1月ともやっとおさらばできる。

明日、2月 1日の日曜日は、厄除けで有名な奈良の松尾さん(まつのうさん、と読む)に行き、心身リフレッシュしようかと思っている。 特に信心深いほうではない。 樹木に囲まれた石段を上がり、木漏れ日の中を歩いたりするだけで良い。 またその近くに姉が嫁いだ家があり、そこで四方山話をするのが楽しい。 私は根拠のない自信家であり、楽天家でもあるから、いい 2月になりそうな気がする。 ホームページもこれからじゃんじゃん書き込もうと意気込んでいる。

さて、私の甥・梅岡佑介は駆け出しのシンガー・ソングライターだ。 良い曲をたくさん作ってライブ活動している。日本各地を廻る予定があるそうだ。 もし、興味を持たれたなら一度ライブに足を運んで聴いてあげて欲しい。

2004年1月31日